2004 Fiscal Year Annual Research Report
Project/Area Number |
04J01623
|
Research Institution | Waseda University |
Principal Investigator |
久保田 静香 早稲田大学, 文学研究科, 特別研究員(DC2)
|
Keywords | デカルト / レトリック / 情念 / 自己説得 / 意識=思考 / 言語 / 動物=機械論 |
Research Abstract |
「デカルトとレトリック:レトリックとパトス--デカルト『情念論』試論--」 (1)デカルトと意識する情念--「外的表徴」あるいはactioによる説得--:デカルトはその最後の著作『情念論』(1649)を執筆・出版するにあたり、「雄弁家としてでも道徳哲学者としてでもなく、ただ自然学者としてのみ情念を説明することを意図」したと同著「序文」で述べている。これを字義どおりに解すれば、古代ギリシア・ローマ伝来の弁論術の体系内で情念を扱うこと、古代道徳哲学の枠組みのなかで情念を論じることのいずれをも拒否し、あくまで「自然学者」として生理学的知見に拠り情念の実態を考察・記述するとの謂である。この「意図」に一見矛盾するが、本論では、デカルトが否定した第一の側面、すなわち情念のレトリック的考察とデカルト『情念論』の関係に注目した。こうした関心のもと『情念論』のテクストを読み進めると、古典レトリックの記述内容との奇妙な呼応関係に気づく。その剴切な例としてひときわ目を引くのが、「情念の外的表徴」の一具体例として引き合いに出される「目と顔の働きactions」(第113項)に関する一節で、デカルトはそこで、人間の表情の形成過程にとかく伴う作為性に言及する。内部分裂をおこした自意識が、想像力の迂回をへて意志したとおりの情念を獲得し、それを「外的表徴」として顕現させるまでのプロセスが、古典レトリックの称揚するactio(口演)による他者説得の手続と相似形をなしながら、密やかに、しかしながらダイナミックに展開するさまがそこでは観察できる。その舞台はあくまで人間個人の内面である。意識、意志、想像力の介入を伴った、情念の内的加工過程にみられるこの「自己説得」の手続は、デカルトの「情念のレトリック」の主観性と内面性を特徴づけるものとして、さらには、古代ギリシア・ローマ以来、対他関係におかれて語られることの多い人間情念を、あくまで対自的にとらえた具体相を浮き彫りにするものとして、デカルト『情念論』の独自性を新たなものとしてくれる。 (2)動物は言葉をもたない--デカルト「動物=機械論」概説:デカルトはその独自の言語考察を、動物=機械論の徹底的な適用のもとに展開する。デカルトは動物も人間同様情念を抱くことをみとめるが、情念は外的作用に伴う身体器官の機械的発動にすぎず、その点で情念は真の言語とは峻別される。対して、もともと音と文字よりなる物質にすぎない言葉を真の言語として機能させるのは、じつは思考と言葉の相互作用であり、この相互作用が人間における自由な言語使用を可能にする。理性=思考をもたない動物は、よって真の言語使用に与れず、こうしてデカルトにおいては、自由な言語使用の有無が、動物と人間の区別のための決定的手段とみなされる。
|