2004 Fiscal Year Annual Research Report
アメリカ・ユダヤ社会における「ユダヤ人国家」・「パレスチナ」
Project/Area Number |
04J04708
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Research Institution | National Museum of Ethnology |
Principal Investigator |
池田 有日子 国立民族学博物館, 地域研究企画交流センター, 特別研究員(PD)
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Keywords | アメリカ・ユダヤ人 / シオニズム / パレスチナ |
Research Abstract |
本年度においては、関連文献・資料の収集を行い、19世紀末から1940年代にかけてのアメリカ・ユダヤ社会において、ユダヤ人国家・パレスチナがいかなる意味をもち、アメリカ・ユダヤ人がいかなる政治的態度・対応をとったのかということを検証した。とりわけ注目したのが、アメリカの法曹家でありのちに連邦最高裁判所の判事となり、かつアメリカ・シオニスト運動の組織的・理念的基盤を築いたルイス・ブランダイスであった。そして以下の問いを立てて検証した。 (1)なぜアメリカ社会に同化し社会的にも高い地位を獲得した人物が「シオニスト」となったのか。 (2)またパレスチナにおいて(パレスチナ・)アラブ人が多数を占めるという現実に対し、ユダヤ人国家の建設という目標と民主主義の原則との矛盾に対していかなる対応をとったのか。 現在のところの結論・仮説は (1)ブランダイスは19世紀末のアメリカ社会の激変のなかで、新たなアメリカの理想を構築するなかで、アメリカ国民の下位集団として「ユダヤ人」を立ち上げる必要を認識した。しかし、彼にとって「ユダヤ人」とは他者より規定される曖昧なものであって、集団としての「ユダヤ人」を構築するためには、「ユダヤ人国家」が不可欠であり、そのためアメリカ・ユダヤ人も「シオニスト」にならなければならない、と主張した。 (2)パレスチナのユダヤ人国家と民主主義の矛盾に対し、基本的には「民主主義の先延ばし」で対応しようとした。1936年に「アラブの大蜂起」が起こり、アメリカ・シオニスト運動内部でもパレスチナ・アラブ人を政治的主体として認めるべきという議論が一部に存在したにもかかわらず、ブランダイスはパレスチナ・アラブ人を政治的主体として認めないという立場を一貫してとった。これは彼の集団としてのユダヤ人を立ち上げるという「シオニズム」の目的の論理的帰結であった。 さらに、イスラエルのヘブライ語学校に1ヶ月ほど滞在し、ディアスポラ・ユダヤ人のイスラエルへの政治的態度を調査した。
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