Research Abstract |
本研究は平成17年度,徳川時代の中央都市と地方町場における土地市場の推移を長期的に分析するとともに,19世紀以降の都市の衰退という実態を,土地の収益や資産価値という側面から検討してきた。 従来,徳川都市の地代・地価分析は,経営史,社会政策史や民衆史を究明する一環として,採り上げられることはあったが,それらをマーケットの指標として分析を試みた研究は存在しない。この点で,本研究は徳川土地市場史の先駆的研究と位置づけられる。 その結果,土地賃貸借市場における実質賃料とその収益は,都市において減少,町場において増加と,対比的な変遷をたどった。このようなコントラストは,両者の地代決定システムにおける根本的な相違に由来する。都市では土地需要が低下したうえに,収益最大化のインセンティブに欠如していた反面,町場では土地の売り手市場にあり,さらに一般商品市場の資金循環や災害時のリスクに応じて,柔軟な賃料決済の設定が可能だったことが明らかとなった。 他方,土地資産市場の動向から都市の実質地価をみると,18世紀の間はマクロ経済の変化に連動して推移していたので,商人・地主層は,土地投資を通じて資産の拡大を試みることが可能だった。だが,1820年代からの都市の地価は,表裏の二極分解の傾向を顕在化させた。表坪の地価はファンダメンタルズから乖離して「負のバブル」を招いた反面,裏坪の地価はファンダメンタルズで説明できる範囲に収束していた。これに対して,町場の収益還元地価は,18世紀後半期から幕末期に倍増していた。本研究を通して,18世紀の「都市の時代」から19世紀の「地方の時代」へというパラダイム転換は,土地市場というフェーズからして,疑いないことが明確となった。 上記の分析結果をまとめた論文は,現在『社会経済史学』にて査読中である。
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