Research Abstract |
本年度は,魏晋時代における経学者の礼学説について考察を行い,特に,魏の代表的な経学者である王肅の礼学説について重点的に検討を加えた。 その作業に伴い,従来王肅注であることが指摘されている『群書治要』の『尚書』舜典注について,すべてが王肅注とは言えないとする見解があることから,この点について再度検討を加えたところ,その問題点は後漢・魏・晋時代における『尚書』『論語』の諸解釈や漢魏王朝交代の際の儀礼と関わるものであったため,これらの考察結果について,後漢経学研究会第4回研究報告会において口頭による研究報告を行った。 その研究報告においては,漢魏の王朝交代時に,その範例とされた堯舜禅譲の故事を記している『尚書』堯典後半部分と『論語』堯曰の冒頭部分とが,どのように解釈されて実際の儀礼に用いられたかという点について,諸注釈の佚文と漢魏禅譲の儀礼とを照合して検討を行った。その結果,漢魏禅譲の際の儀礼については,皇帝璽綬の受納の後に,告天の祭祀が行われたと考えられることは既に指摘されているが,従来前者が皇帝位に即くこと,後者が天子位に即くことと解されている点について,『尚書』と比較して考察したところ,前者は『尚書』の「受終于文祖」に,後者は「類于上帝」にそれぞれ基づいているものと考えられることを指摘した。そして,漢魏禅譲の儀礼においては,禅譲の場が明堂ではなく,また,告天文中の「皇皇后帝」も昊夫上帝を指すものと考えられることから,その解釈は鄭玄説とは異なっていることを明らかにするとともに,その後,魏の明帝期においては,公的な文書中に,明堂で堯舜禅譲が行われたとする言説が見られ,それらは鄭玄説に合致しており,明帝期における鄭玄学派の台頭を示す事例であることを指摘した。 魏晋時代の礼学説に関する本年度の研究成果は,来年度においても発表する予定である。
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