2004 Fiscal Year Annual Research Report
前2世紀後半から前1世紀前半における、アルシャク朝のバビロニア統治体制形成過程
Project/Area Number |
04J10542
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Research Institution | The University of Tokyo |
Principal Investigator |
三津間 康幸 東京大学, 大学院・総合文化研究科, 特別研究員(DC2)
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Keywords | 王権 / アルシャク朝 / セレウコス朝 / バビロニア / バビロン / エサギラ神殿 / 『バビロン天文日誌』 / 「生命のため」の供犠 |
Research Abstract |
本研究で主要な史料として使用する『バビロン天文日誌』の一部断片(粘土板の模写)を読み、本研究に関連する部分を日本オリエント学会第46回大会研究発表「セレウコス朝及びアルシャク朝支配下のバビロンにおける『統治者礼拝』」や、論文「セレウコス朝及びアルシャク朝支配下のバビロニアにおける知事職」に発表した。また、既刊の『バビロン天文日誌』の一部の読みの修正を、論文"Arsacid Naval Attack on Mesene?"に発表した。 さらに、アルシャク朝の高官や使節のバビロン訪問時に行われた供犠について、「セレウコス朝及びアルシャク朝支配下のバビロンにおける『統治者礼拝』」で検討した。王やバビロニア属州の高官がバビロンを訪問した際に、エサギラ(バビロンの主神マルドゥクの神殿)や関連の祭所で行った供犠は、「王(と王族)の生命のため」の供犠としてセレウコス朝時代半ばから史料に記録されているが、前2世紀半ば頃には、王ではなく属州高官が自身の「生命のため」に犠牲を捧げる例もあることを明らかにした。このような「僭越」とも見える行為は当時相次ぐ内紛によってセレウコス朝が混乱したことと無関係ではないと思われる。 また、前141年にアルシャク朝の王がバビロニア属州内の諸都市で支配者と認められるが、その後120年代にかけてのバビロニア支配は安定しなかった。そのような時代背景については、「セレウコス朝及びアルシャク朝支配下のバビロニアにおける知事職」、"Arsacid Naval Attack on Mesene?"で詳しく論じた。当時の属州高官や使節によるバビロンでの供犠の様態からは、エサギラ神殿が儀式の主導権を握り、供犠の形式をアルシャク朝の支配の消長に対応して様々に変化させたことを明らかにした。本研究を通じて、総じてこの時代における王権の権威が、権力の盛衰とも密接に結びついて揺れ動いたことを示した。
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Research Products
(3 results)