1994 Fiscal Year Annual Research Report
江戸時代後期の砂持・流行踊りと民衆意識に関する研究
Project/Area Number |
05610294
|
Research Institution | Osaka Municipal Museum of Art |
Principal Investigator |
相蘇 一弘 大阪市立博物館, 学芸課, 学芸課長 (90110072)
|
Keywords | 豊年踊り(蝶々踊り) / おかげ踊り / ええじゃないか / 御千度踊り / 稲荷踊り / 仮装 / 砂持 / 集団的熱鬧 |
Research Abstract |
今年度はまず天保十年春に京都で流行した豊年踊り(蝶々踊り)について、いくつかの絵画資料を調査した。このほか文政十三年から翌年にかけて河内・大和・摂津を中心に流行した「おかげ踊り」、慶応三年に各地で爆発的に流行した「ええじゃないか」踊り、天保三年に堺で発生した「御千度踊り」、慶応元年に播州三木で流行した「稲荷踊り」などの流行踊りを調べたが、それらの形態は派手な衣装で生業を捨てて連日踊ると言うようにどれも非常によく似ており、なかにはさまざまな仮装を伴った場合もあった。 1方、前年度の調査で判明したように江戸後期、大坂や京都の寺社の開帳や砂持などでも仮装の練り物や踊りがつきものであった。これらは先に見た流行踊りと形態が大変よく似ていることが一枚摺資料などから判明した。また社寺の行事だけではなく、大坂や京都、などでは宗教とは関係のない浚渫行事などでも踊りや仮装の騒ぎがあった。これらは江戸後期の上方地方では、その多くが宗教に関係しているものの、きっかけさえあれば民衆がどこでも同じような形で熱狂し得る素地があったことを示していると言えるであろう。 これらの民衆運動はいずれも抑圧された階級が封建制度から解放されたいという潜在的な願いを集団的な熱狂という手段で一時的に昇華させるという点で共通しているように見える。民衆はこのような集団的熱鬧に身を投ずることによって日常生活の規律や封建制度の桎梏から一時的に脱出・逃避することができたのであろう。つまり江戸時代における流行踊りなど民衆の集団的熱鬧は、その一つ一つを単独で見るのではなく、その底に流れるものは本質的に同じ性格を有するものと捉えることが必要であろうかと思われる。ただし、これらの熱鬧が近世に固有の民衆行動であるのは、地縁的な繋がりである「町」の存在が大きいことも言えると思う。
|