1993 Fiscal Year Annual Research Report
戦国〜近世前期における関西漁民の関東進出に関する研究
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05710215
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Research Institution | Natural History Museum and Institute, Chiba |
Principal Investigator |
内田 龍哉 千葉県立中央博物館, 歴史学研究科, 学芸研究員 (60250172)
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Keywords | 近世 / 紀州(藩) / 海民 / 魚業 / 肥料 / 関東 / 関西(畿内) / 流通 |
Research Abstract |
本研究では、これまで地域史研究の中で知られて来た関西漁民の関東進出という現象のの実態について、時間的な広がりと地域的な広がりを把握し、その歴史的背景を解明することを課題としてきた。これまでは、かつて荒居英次氏が提唱したように、畿内における綿作の拡大と魚肥需要の増大によって、摂津・和泉・紀伊の漁民が関東海浜に出漁し、主に鰯地曵網漁と干鰯生産を行ったが、地網との対立抗争を生じ、やがて元禄地震を契機に衰退したとされる。 本研究では、出漁の実態把握を通じて、この通説を批判検討をしてきた。その結果、ほぼ以下のことが明らかになったと言えよう。まず、関東出漁の範囲は、伊豆半島東岸、三浦半島西岸、房総全域、常陸国南部に広がり、漁労集団の季節的出漁という形態で十六世紀後半に始まり、元禄期には旅網の衰退と江戸・浦賀干鰯問屋による地網の前貸支配に再編成に終わった。また、栖原屋角兵衛家に代表されるように、紀州漁民は関東と同時期に、三陸〜下北漁場まで展開している。房総でも、関西漁民の季節的出漁と旅網経営は衰退したが、安房国長狭郡天津村善覚寺及び上総国夷隅郡日在村照願寺の過去帳を見るかぎり、関西とりわけ紀州(海士、海草、有田郡)、泉州漁民との人的交流は、近世を通じて存在したことが判明した。 特に紀州漁民は、定着後も紀州藩の潜在的な支配を受け、紀州系商人と取引関係を結んでいる。化政期以降本格化する紀州藩の魚肥直仕入政策等は、各地の出漁民との関係を軸に急速に展開する。また、魚肥直捌を中心とする国産政策は、水戸藩,仙台藩等でも実施している。今後は、関西漁民の展開を可能にした、近世以前の太平洋航路の実態を明らかにする必要がある。
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