1993 Fiscal Year Annual Research Report
Project/Area Number |
05832001
|
Research Institution | Ibaraki University |
Principal Investigator |
館山 豊 茨城大学, 人文学部, 教授 (60116621)
|
Keywords | イラン革命 / 開発政策 / 石油収入 / サウジアラビア / イスラム |
Research Abstract |
1.イランとサウジアラビアとでは経済開発の進め方に大きな違いがある。サウジでは聖俗融合したサウド家が急速な開発政策を展開するが、それは移民の大量流入により国民を生産過程から遊離させつつ、国民を一挙に富裕化させた。それが本来矛盾するはずの急速な開発とイスラムとの共存を可能にしたのであり、それゆえ伝統的部分の強権的解体は必要なかった。他方シャーはバザールの商人・ウラマーや農民などの伝統的勢力を解体していく政策を採る。それは彼が工業化の担い手である近代的労働者を移民ではなく、国内で作り出そうとしたからである。宗教に強権的弾圧が加えられたのもイスラム的価値から解放された新たな人間類型を作り出そうとしたからである。シャーは西欧の近代化の過程を忠実になぞろうとしたといえる。 2.しかし革命の引き金となったのは政治的要因よりもインフレの暴走である。シャーはその経済政策において二つの大きな過ちを犯した。ひとつは石油収入の撒布がイラン経済の吸収能力を越えていたにもかかわらず、近代化を急ぐあまりその速度を緩めようとしなかったことである。もう一つは放漫な金融政策である。財政による巨額の資金撒布にもかかわらず、通貨当局はマネーサプライの規制を行なうどころか、生産投資への融資はインフレを助長しないとの観点から寛大な金融政策を維持しつづけた。その結果インフレが暴走を始め、1978年には取り付けが起こり金融システムは麻痺状態に陥る。インフレの昂進は国民の実質所得を低下させ、経済活動は混乱の一途をたどる。それがそれまでシャーの近代化政策を支持してきた都市中間層を離反させた経済的要因である。イスラムがそれに政治的形態を付与した。
|