2005 Fiscal Year Annual Research Report
西洋・日本・韓国文学における<新しい女性の形成と変遷>
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05F05012
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Research Institution | Kyushu University |
Principal Investigator |
西野 常夫 九州大学, 大学院・比較社会文化研究院, 助教授
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Co-Investigator(Kenkyū-buntansha) |
GL M 九州大学, 大学院・比較社会文化研究院, 外国人特別研究員
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Keywords | 恋愛観 / 結婚観 / 民族主義愛情観 |
Research Abstract |
研究計画の一端として、現時点で作成した論文は「漱石の「三四郎」と李光洙の「無情」における結婚観研究-登場人物の恋愛間を通して-」である。本論文では、日本留学中に西欧文学(邦訳)や日本の新文学に接した李光洙(1892〜1950)の「無情」(『毎日申報』1917・1・1-6・14)と、夏目漱石の「三四郎」(『東京朝日新聞』『大阪朝日新聞』1908・9・1-12・29)を比較し、韓国と日本の1910年代前後の典型的な<新しい女性>の表現のされ方の相違を考察した。最近の関連研究には、鈴木すずえ「「三四郎」論-美禰子の本郷情話-」(湘南短期大学紀要、2003)や、ソ・ボマン「「無情」における愛情観研究」(木浦大学教育大学院、2004)などがあるが、両作品をこの視点から比較した研究はまだほとんど行なわれていない。「三四郎」では日露戦争後の、「無情」では植民地時代の、それぞれの現実世界に動揺する女性の心理、あるいは自我意識の強い<新しい女性>が自由恋愛観を通して描かれている点が類似点である。日本において近代的な恋愛観の芽生えは明治20年前後であり、明治30年代半ば以降は、教育の浸透が加速され、個人的自覚が高まる。明治44年には、イプセンの『人形の家』が帝国劇場で上演されるなどして、「家」の制度に順応する女性たちに影響を与えた。漱石はこうした女性の意識の変化を美禰子に投影して、一つの新しい女性像を作り上げた。一方、「無情」では、植民地時代の動乱の中で、新青年の李享植、新女性を代表する善英、旧道徳を遵守する英採をめぐる三角関係を通して、旧結婚制度を打倒し、自由な恋愛結婚を理想化する若者たちを描かれている。「無情」に登場する女性たちは高等教育を受けたエリートであり、彼女たちの時代に伝統を打破する知的なモダンガールという言葉が誕生した。しかし「無情」では、自由恋愛観を提示しようとする作家の努力はうかがえるが、恋愛観の展開は不十分であり、新しい教育(留学)を受け、国を救おうとする民族主義的な<新しい女性>の誕生の描写に重心を置いている点が「三四郎」との相違点である。そこに当時の国情の違いの反映を見ることもできよう。
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Research Products
(1 results)