2006 Fiscal Year Annual Research Report
Project/Area Number |
05J01486
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Research Institution | Kyoto University |
Principal Investigator |
八木 綾子 京都大学, 大学院・文学研究科, 特別研究員(DC2)
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Keywords | ジャイナ教 / 子肉putra-mamsa / 摂食の心得 |
Research Abstract |
不殺生は仏教とジャイナ教では五戒の一つであり、動物のみならず植物や微生物も一個の生命として認めるジャイナ教は直接的、間接的に生き物を傷つけないように説き、仏教徒が特定の人のために作られた食事を食べることを批判したことが知られる。両教の経典で出家者が施食を食べる時の心得が子肉の喩を用いて説かれることが谷川泰教「子肉の喩(Puttamamsupama)」高野山大学論叢35,2000で論じられている。この喩の背景には、荒野を旅する親子が食料が尽きた時に親が子を殺しその肉を食べて荒野(=輪廻)を脱出(=解脱)するという話がある。施食は子の肉と同様に、解脱を目的とする修行を行うのに必要な身体を維持するためのものであり、味に対する執着を断つべきであることが説かれる。叙事詩マハーバーラタ13巻ではしばしば不殺生が説かれ、「子肉」の用例はMbh13.115.10,13.148.17にある。後者は「背肉を妄りに[食べる]肉と子肉は等しい」という。背肉には「背で荷を運ぶ動物の二期」、背面の肉を食べることから転じて「陰口」という二つの解釈がある。ジャイナ聖典とパーリ仏典における用例を収集検討していずれの解釈が適当か検討したい。次にMbh13.115.17^<cd>は肉食する人を「心を損なっている人は[肉は]子の肉に等しいものと知りながら食べる」と非難する。子を注釈者のように親を殺さなければ生まれてくるはずの子として殺される生物の子とみるか、C. K. Chappleのように食べる人自身の子と解釈する可能性がある。後者の解釈は仏典ジャイナ聖典にみられた子肉の用例と類似すると思われMbb13巻の当該箇所と仏典との関係をただちに論じることはできないにしても、解釈の妥当性を考えてみたい。
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