2006 Fiscal Year Annual Research Report
Project/Area Number |
05J02081
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Research Institution | Kyoto University |
Principal Investigator |
川上 陽子 京都大学, 大学院人間・環境学研究科, 特別研究員(DC1)
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Keywords | 死 / 歓待 / 贈与 / ことば |
Research Abstract |
研究者は、研究途上において贈与、歓待を探求する場合に、死とことばについて省察することが、避けては通れない問題であるということに気づき、これまでの研究期間中、おもに、贈与と死とことばについて、その密接な構造的類似性、並びに連関を論じてきた。 近現代における思想家が死について言及する場合、そこには常に、ことばへの目配りがあった(キルケゴール、ハイデガー、デリダ、ブランショ、ナンシーなど)。これらの思想家の論述を詳細にみてゆくことで、ことばと死には、緊密な連関関係並びに構造的類似性があるという知見をえた。ひとは、発話行為をおこなうごと、主体化・脱主体化を繰り返す。脱主体化とは、自分が自分でない感覚 「我」が剥離してゆく感覚のことである。バンヴェニストがいうように、ひとは語ることによってしか主体化しえないのにもかかわらず、そこには、常に、自己の剥離、死の影がつきまとっているわけである。 また、贈与においては、おもにマリノフスキーやモースの文化人類学の文献にあたることによって、贈与の究極状態と、ときにみなされる、ポトラッチに焦点をあてることで、ポトラッチとは、従来考えられていたように、権威を示すだけではなく、むしろ、恥辱から逃れるために、過剰に、過激になってゆくのであるという知見をえた。ここに、レーヴィやアガンベン、レヴィナスの「逃走論」などによって示された、死と恥ずかしさの抜き差しならない密接な関係性を介入させることで、贈与の究極状態、つまりは純粋贈与とは死である、という結論に達した。さらには、ことばとは、誰しもに与えられた、つまりは贈与されたものである、とかんがえることができる。これらのことによって、死と、ことばと、贈与のあいだには、構造的類似性ならびに緊密な関係性があることが証明できた。
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Research Products
(2 results)