Research Abstract |
本年度は,主に,論証を取り巻く,中世イスラーム世界の社会的状況を中心に研究を進めた.その際,アッバース朝国家における学者の役割との関連での研究を進めた.その結果,以下の結果を得た. アッバース朝において,当時の学者の大半が,カリフなどの政治的権威者たちの助言者として存在していたといっても過言ではない.そういった助言者にとって,カリフの組織する議論の場での議論は,自らの存在意義を発揮する場だったのではないだろうか. すると,そこにおいて活発に議論されていた話題のひとつに,イスラームという宗教の正当性を巡る議論があったことに気がつく.その背景として,さまざまな宗教が混在する社会において,イスラームが,正当な宗教として確立するために,カリフ主導の下,大々的なキャンペーンを繰り広げていたことが挙げられよう.そして,こういった議論の場において,二元論などの,イスラームとは異なるさまざまな世界観と対峙するために,狭い神学論争を超えて,より広く,世界観についての議論が大いに展開されていたようだ. また,以上の世界観を巡る議論は,ミクロのレベルでは,生命の構造についてまで展開される一方で、マクロのレベルでは,宇宙の構造についてまで展開されることになった.そして,まさに,この生命論と宇宙論への議論の広がりゆえに,こういった議論の場において,ギリシャの学問の知識を持つ者の貢献を可能とするような「隙間」が生じたのではないか. 実際,この隙間を埋めるかのように,当時,ギリシャの学問を担っていた学者たちが,天文学者(および占星術師)と医者に占められていたことは興味深い.このことは,ギリシャの学問を担う者に対して,医学的知識と天文学的知識が求められたことに対応しているのではないだろうか. また,本年度は,イギリス・ウォーバーグ研究所に一ヶ月滞在することで,現地の研究者たちとの交流を行った.
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