Research Abstract |
19世紀イギリスでは,識字率の増加,印刷技術の発展,読者層の拡大により,科学の知識を獲得することが知的な余暇活動として,大衆文化の中に組み込まれていった。また、動物学会,天文学会,地質学会など,自然科学の個々の専門領域を担う科学団体が立ち現れ,「科学者」scientistという言葉が誕生し,科学の制度化が進む一方,科学研究の意義や,科学そのものの意味が積極的に議論され始めた。このような状況のなかで,1826年に設立されたロンドン動物学会は動物学の知識を生み出し,それを社会に広める科学団体として,どのように知識の大衆化に対応したのかをこの論文では明らかにした。国庫からの資金援助を受けないロンドン動物学会にとって,学会が経営するロンドン動物園は貴重な資金源だった。そのため,多額の入園料を必要とする動物園は,営利目的の興行主が用いる手法を取り入れ,科学のアミューズメント・パークへと変貌を遂げた。様々な人々が楽しみながら自然の知識を獲得するという動物園の姿が定着したのである。しかし,この動物園の変貌は,科学の知識に対する人々の考え方に大きな問題を投げかけた。動物園が見物客に提供する楽しみは,純粋に科学的な楽しみではなく,娯楽的な要素が強いと考えられたからである。こうして,動物学会の科学団体としての役割をめぐる議論の中で,科学の知識には,純粋に科学的なものと,啓蒙や教育に用いられるものとの区別が必要であると理解されるようになった。このように,知識の大衆化が進行する社会において,それまで明確な区分はないと捉えられていた科学と娯楽を対置させる議論の枠組みが現れてきたことを明らかにした。
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