1994 Fiscal Year Annual Research Report
桂園派の発生・発展と幕末・明治期の桂園派和歌・歌論の文学史的意義について
Project/Area Number |
06610414
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Research Category |
Grant-in-Aid for General Scientific Research (C)
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Research Institution | Shigakukan University |
Principal Investigator |
清水 勝 鹿児島女子大学, 文学部・国文学科, 教授 (50248647)
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Research Abstract |
桂園派の発生を小沢芦庵にその萌芽と考え、芦庵伝記の研究からはいった。まず、中野螢雪氏、高浜次郎氏の著作を概観し、丸山季夫氏の遺著『国学史上の人々』により、香川景樹につながるものを引出した。「調べ」と「誠」と「古今中心」といえる。次に、山本嘉将氏の『香川景樹論』・黒岩一郎氏の『香川景樹の研究』・兼清生徳氏の『桂園派歌壇の結成』によって歌論の発展を見た。さらに、大きく文学史的視点からの発想を失わないようにするために、佐々木信綱著『日本歌学史』・『近世和歌史』・福井久蔵著『大日本歌学史』・『近世和歌史』・高野辰芯之著『江戸文学史』を参考にしながら景樹の『古今和歌集正義』・『同構稿』等の歌論及び『桂園一桂』などの歌稿に景樹らしさを究明しようとした。次に桂園派の歌人達の中で、直接明治の高崎正風につながるものとして、八田知紀を深く知ることとした。ところが、知紀の研究は、予想したとおり無きに等しく、またそれに続く高崎正風の研究書もやはり無きに等しいことが判明した。 そこで当座の研究法として、八田知紀側からの景樹及び正風、正風側からの知紀を中心に、その周辺の歌人達の動向を調査すべく、歌稿をはじめ、関係書物を蒐集することとした。知紀・正風とその門流が幕末から明治にかけて、大変に勢力を持った理由が、それら著書の中にも窺えるはずだからである。その関係書物も、今では版本等を直接手に入れることは不可能であり、彼等の業績を概観するためには、『現代短歌全集』(改造社刊)・『短歌文学全集』(第一書房刊)等々の叢書物によるものと、各図書館所蔵本の写真複製などによらざるを得ず、余さず資料を手に入れるにはまだ程遠い。しかし実際桂園派が明治初頭まで隆盛を極め後急に凋落して和歌は短歌に移行するのは事実であり、その理由が闡明にされるべきである。現在迄の研究では、知紀は、その郷里たる鹿児島とのつながりが極めて密であり、大変深い神統的な発想を所有し、多くの知己・弟子を持ち、桂園派歌人として桂園大人景樹に深く寄りながらも一家の識見に秀でて独立をしており、また常識人たる一面もあり、心が大変に広い。これは同じく正風もその路線上にあり、けれどもやはり一家の風を同様に立てており、『埋梗花』の撰は、彼らの自由な発想がなければとても編集されることはあり得ない韻文集(漢詩・和歌・俳諧・身分の高下・都鄙問わず作品を収録。)といえる。それぞれほどの大歌人を中心に持った桂園派がなぜ文芸部門の上で短歌に取ってかわられ、和歌文芸が衰退したかというと、大変に困難な問題と考えられる。現在推論するに、むしろ旧派大歌人を中心とする桂園派は、新興短歌をむしろ肯定する度量を示し、それが為に新興勢力をつぶす側にまわらなかったことが、多くの習練を経なければならない和歌の広大な文芸世界から容易な短歌に推移してしまった理由の大きな一面ではないかと思うようになった。本年は知紀・正風の和歌・歌論が伝統的な和歌をよく温存しながらも、きわめて新鮮又は革新的な発想の歌人や和歌にも心がひらかれ、包含する力をもっていたと説明できたといえる。
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