2006 Fiscal Year Annual Research Report
カントとトマス・リードの知覚論および心の哲学 -認識論的自然主義の問題-
Project/Area Number |
06J00682
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Research Institution | Kobe University |
Principal Investigator |
長田 蔵人 神戸大学, 文学部, 特別研究員(PD)
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Keywords | トマス・リード / カント / 自然主義 / コモン・センス / 実在性 / 感覚 / 知覚 / 観念 |
Research Abstract |
初年度の研究では、認識論的自然主義に対するアンチテーゼの可能性探求の準備として、認識における構成的原理という主張を、リードとカントの共通の洞察として取り出した。カントとリードは共に、ヒュームの誤りが、デカルト以来、無批判に引き継がれた前提、すなわち、判断に先立って観念が単純把握される、という考え方に存することを正しく理解していた。両者はこの出発点における誤りを正しく見抜いていたことから、ヒュームがたどり着いた懐疑論的結論を反駁する端緒をどこに見出すか、という洞察において相通じることになる。その共通の端緒とは、感覚そのものと感覚内容(知覚)との峻別、すなわち、感覚器官の触発としての感覚そのものが感覚内容となるのではない、という理解である。リードは、感覚そのものが、後から結合されるべき素材(感覚内容)として単純観念を成すわけではないことを理解し、感覚内容は感覚としてではなく、常に判断において意識(知覚)される、と主張した。カントは同じ理解を、「実在性」カテゴリーのもとに説明しようとする。感覚的所与は、<どのようであるか>という形式である「実在性」カテゴリーに従って捉えられることによって初めて、感覚内容となる。そしてそのように「実在性」カテゴリーがア・プリオリな制約であることによって、感覚内容は、つねに判断の形においてのみ知覚されることになる。こうしてリードもカントも共に、感覚内容がそのようなものとして知覚されるには、その知覚内容そのものを構成する判断の原理が、観念形成に先立つものとしてつねに必要とされると考え、前者はこれをコモン・センスの第一原理とよび、後者はそれを悟性のア・プリオリな形式(カテゴリー)に求めたのである。次年度では、これらの構成的原理が、認識における規範性と事実性の区別という自然主義の前提そのものを退けうる可能性を秘めていることを明らかにしていきたい。
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