2006 Fiscal Year Annual Research Report
ソ連のドイツ占領政策と冷戦-ソ連の対ドイツ賠償政策を中心に
Project/Area Number |
06J11345
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Research Institution | The University of Tokyo |
Principal Investigator |
藤澤 潤 東京大学, 大学院人文社会系研究科, 特別研究員(DC1)
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Keywords | 国際研究者交流 / ドイツ / 冷戦 / 現代史 |
Research Abstract |
今年度は、ソビエト史研究会においてソ連の対ドイツ賠償政策の変化を整理した上で、ベルリンの文書館における史料収集をもとに、ソ連のドイツ政策を検討した。ソ連は、46年春まで、ドイツからの賠償により自国の経済復興を図ると同時に、賠償を通じてドイツの工業力を徹底的に弱体化することを目指していた。この目的のため、ソ連は当初、ドイツの主要な工業設備の解体・撤去を賠償政策の基本とした。しかし、46年以後、ソ連は、ドイツの工業設備を稼動させ、ドイツで製造された工業製品を賠償として徴収するという方針にシフトしていく。この政策転換には、二つの原因があった。第一に、冷戦が勃発し、アメリカがマーシャルプラン等を通じてドイツに経済援助を行う中、過酷な賠償徴収を続行することは、ドイツにおける反ソ感情を刺激し続けることになり、西ドイツにおいても影響力を保持し続けるというスターリンの政策構想と相容れるものではなかった。したがって、スターリンは、過酷な賠償政策を緩和することで、ドイツにおけるソ連イメージを改善しようとしたと考えられる。この点は、ソ連の賠償政策転換の背景としては従来あまり注目されてこなかったが、冷戦の勃発・激化の中で、ソ連がどうドイツ政策を変更していったかを検討する上で、重要な論点である。今後、50年代以後のソ連のドイツ政策とも関連付けつつ、さらに深く検討してみたい。賠償政策転換の第二の背景としては、工場の解体・撤去の経済的な非効率という問題が挙げられる。経済的な観点から見た場合、ソ連経済の復興のためには工業設備の解体撤去よりも、ドイツの工業力を維持し、ドイツで製造された製品を賠償として徴収するほうが、はるかに効率がよかった。ソ連は、46年以後、効率的な賠償調達のために、ソ連・東欧圏の経済流通網を再編成し、ソ連・東欧から東独への原燃料供給、東独からソ連への製品供給という物資流通、分業体制を確立していった。
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