2006 Fiscal Year Annual Research Report
Project/Area Number |
06J52702
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Research Institution | Kyoto University |
Principal Investigator |
山元 宣宏 京都大学, 大学院人間・環境学研究科, 特別研究員(DC2)
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Keywords | 文字学 / 隷書 / 書体 / 古文学派 / 史律 / 形義 |
Research Abstract |
「秦漢時代における書体の諸相」の一環として、『説文解字』叙や『漢書』藝文志にみられる書体の名称の成立期を再検討した。従来の研究では見ることの出来なかった新出土の『張家山漢墓竹簡』二年律令「史律」475・476の解釈を中心に考察を行った。『説文解字』叙には秦の時代の書体として8つの名称を列挙するが、「史律」にも、役人になるためには八体の試験が必要であると記されていた。しかし、この人体の内容についての具体的な記載はなかった。この人体を、『張家山漢墓竹簡』二年律令に注釈を施した整理小組は、『説文解字』叙にみられる八体であると解説しているが、筆者は『説文解字』叙に列挙された八体を、この「史律」の入体と結びつけてよいのかという疑問を提示する。秦漢時代の出土文字資料と『説文解字』叙の8体につけられた解説を対照することによって、「史律」の人体を『説文解字』叙の八体とは結びつかないことを証明する。 また、1964年に発見された後漢洛陽城南郊外刑徒墓出土の刑徒磚には、漢代の労役刑の名称がみられる。しかしこの洛陽出土の刑徒磚には当時の労役名である「戌罰作」と「隷臣妾」刑の存在が確認できない。この歴史事実を用いて、『説文解字』叙に列挙された漢字の書体の名称の一つである隷書について考察を行う。許慎が『説文解字』叙で隷書の解説に「四に曰く佐書、即ち秦の隷書。」と記述したのは、労役刑である「隷臣」を意識した使い分けであったと考えられるのである。「隷臣刑」は統一秦に生まれ武帝以後には史料に見えなくなった。そこで漢代の古文学派は、当時名称のなかった今文(或いは佐書)に蔑称を与える為の拠りどころとしたのが、「隷臣」であったのではないかと考えた。許慎の明確な意識による使い分けを無視しなければ、隷書の"隷"とは、具体的な歴史性に基づいた隷臣の"隷"であったと考えられることを提示する。
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Research Products
(2 results)