1995 Fiscal Year Annual Research Report
Project/Area Number |
07630062
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Research Institution | Hokkaido University |
Principal Investigator |
宮本 謙介 北海道大学, 経済学部, 教授 (00209941)
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Keywords | 植民地都市 / アジア域内交易 / 東インド会社 / 中国人ネットワーク / ジャック船貿易 / 多民族社会 / 奴隷労働 |
Research Abstract |
本年度の東南アジア都市経済史の研究では,植民地都市バタヴィア(現ジャカルタ)を事例として,東南アジアにおける都市経済の形成と構造的特質について解明した。新たに得られた知見と思われる点を以下に示す。 1.東南アジアの多くの港市は,ヨーロッパ勢力が到来する以前,少なくとも14〜15世紀には,中国や西アジアまで含めた香辛料を中心とするアジア域内交易の拡大に伴って,現地内陸部を結ぶ中継基地として発展していた。16世紀以降のヨーロッパ勢力の進出は,アジア域内交易の発展の結果とみることができる。 2.植民地都市バタヴィアは,17世紀の初頭にオランダの貿易基地として建設されたが,その経済活動では中国人の商業ネットワークとアジア各地から調達した奴隷に負うところが大きかった。オランダ東インド会社のアジア貿易では,ジャンク船による中国人商人の域内交易に支えられ,バタヴィアの都市建設(要塞・運河建設など)では各地の奴隷,甘蔗糖・アラック酒などの製造業では中国人ク-リ-を主要な労働力とした。 3.バダヴィアは,その成立の当初から多民族によって構成されたが、オランダは,多民族の分割支配を基本政策とし,民族ごとに居住地・言語・服装などを規制した。民族と労働分野にも一定の相関がみられた。しかし,その規制はそれほど厳格ではなく、徐々に民族間の融合も進み,奴隷制度が廃止された19世紀には,他に郷里をもたないバタヴィア人が階層として成立し,都市の底辺労働力を形成することになった。 本研究では,19世紀までを対象としたが,植民地都市バタヴィアと現代の巨大都市ジャカルタとの連続と断絶の諸相を経済史の視角から明らかにすることが今後の課題である。
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