2008 Fiscal Year Annual Research Report
Project/Area Number |
07J03678
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Research Institution | The University of Tokyo |
Principal Investigator |
中野 貴文 The University of Tokyo, 大学院・総合文化研究科, 特別研究員(PD)
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Keywords | 消息 / 阿仏尼 / 十六夜日記 / 兼好 / 徒然草 / 中世王朝物語 |
Research Abstract |
消息的テキストの存在を考える上で極めて重要な存在として、前年度に学会発表も行った阿仏尼の『十六夜日記』「鎌倉滞在記」に関して、さらなる検証も加えた上で原稿化したものが、『中世文学』誌に掲載された。消息という書き記された「文」によって、人と人が時や場所とを越えてつながることへの信頼感の存在、及びかかる発想が、阿仏尼から五十余年の後の兼好へもつながることを明らかにした。阿仏尼(『十六夜日記』)と兼好(『徒然草』)との間に、明確な文学史的連続を見出したことは、従来の文学史の相対化を図る意味でも、非常に重要であると思われる。この他、『徒然草』の文学史的位相を捉える研究をさらに継続し、七月には「徒然草とその時代」と題された座談会に参加、同じく『徒然草』を分析する研究者と議論を交わした。加えて、兼好と同様に、前述の阿仏尼も『源氏物語』等の王朝古典を積極的に受容していたこと、阿仏尼は『うたたね』という物語的な日記も書き残している点に着目し、『徒然草』と中世王朝物語との関係に着目するに至った。検討の結果、『徒然草』の中には、文体・発想の両面にわたって中世物語との共通点が認められること、及びかかる近似性は、両者が王朝古典に範を仰ぐという中世という時代的特牲が生み出した必然であることなどを論証した。中世の物語と『徒然草』をはじめとする消息的テキストは、一見するとジャンルの異なる無関係の存在のように見なされがちである。しかし、そもそも「ジャンル」という近代的発想の有効性自体が問い直されなければならないだろう。物語と消息的テキストは、「つれづれ」の慰みに書き記された、極めて「褻」的なテキストであるという共通性が認められるのであり、物語の存在もふまえた上で、消息的テキストの文学史は検討されなければならないことが明らかになった。なお、如上の成果は既に活字化し、現在投稿中である。
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