2008 Fiscal Year Annual Research Report
ライプニッツ思想における予定調和-『弁神論』における自由をてがかりに
Project/Area Number |
07J07693
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Research Institution | Kyoto University |
Principal Investigator |
山本 麻由 Kyoto University, 文学研究科, 特別研究員(DC1)
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Keywords | ライプニッツ / 自由 / 弁神論 / 予定調和 / 形而上学 |
Research Abstract |
今年度は『弁神論』を読みなおし、ライプニッツは自分の哲学の枠内で、どのようにして決定論を避けたのかということを再度考えなおすことにした。なぜ神の創造が自由な行為と言われうるのか。確かに選択の根拠は選択肢である可能的世界にある。だが、そのことによって神は知性によって認識するという受動的態度を求められ、創造を強制されるのではない。なぜなら、可能的世界の内容を知性によって知り、最善のものを認識するだけでなく、意志によって現実化することを認めなければならないからである。ある行為において、「判断が行為者のうちにないときには自由もない」と言われるが、このとき、創造するという判断を行うのは、神自身の意志である。神は、人間の自由意志を含め、被造物の本性に基づいて形作られた可能的世界を、意志によって認め、変更を加えることなく創造する。その中には、被造物の本源的不完全性に由来する悪も当然含まれることになるが、それもひっくるめて「認める」のである。現実世界と可能世界を区別するのは、先ほど述べた神の意志による承認を受けているかいないかというところにあると考えられる。その承認によって、救済が可能となるのであり、神の子が送り込まれることにもなるのだろう。決定という名の「必然性」は、我々を決定論に縛りつけるものではなく、むしろ美しい調和の中で我々の自由な行為を実現させる「自由」を支える原理である。可能的世界における原因結果のつながりの根拠の中に、人間の自由意志も含まれると考えるならば、そして、可能的世界の内容が決定されており、その内容が現実世界においてそのまま展開されていくのだとするならば、神の予知や決定にその内容を左右されないというこのことが、人間の自発性、更には自らの行為への責任を示しているように思う。この世界において起こるすべてが可能的世界において表現されているということ、そしてそれを神が何の変更も加えずに許容し、創造したということ、それがすなわち、人間の自由を保障することでもあるのではないかという仮説にいたった。
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