2007 Fiscal Year Annual Research Report
Project/Area Number |
07J08427
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Research Institution | Tokyo National University of Fine Arts and Music |
Principal Investigator |
上山 典子 Tokyo National University of Fine Arts and Music, 大学院・音楽研究科, 特別研究員DC1
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Keywords | 音楽学 / 西洋音楽史 / 「新ドイツ派」 / 「未来音楽」 / フランツ・ブレンデル / リスト / ベルリオーズ / ヴァーグナー |
Research Abstract |
今日の音楽史記述において、「新ドイツ派」の名称は頻繁に用いられているものの、その根本概念の研究は長い間、見過ごされてきた。本年度はこの「並外れて複雑な用語」解明の第一歩として、提唱者フランツ・ブレンデルにおける概念の検証を行った。まずはブレンデルの1850年代の著作・雑誌記事を年代順に追っていくことで、この用語が提唱されるに至る道のりを考察した。これにより、50年代初頭、ブレンデルの注目はもっぱらヴァーグナーの新しい理論に注がれていたのに対し、50年代半ば以降は、作曲家のみならず指揮者、著述家、そして当時の「新音楽」-ヴァーグナーやベルリオーズ-の強力な擁護者として奔走したリストへと向けられていったことがわかった。こうして1859年6月、ブレンデルがそれまでの「未来音楽」に代わる名称としてベルリオーズ、リスト、ヴァーグナーの「三人組」を「新ドイツ派」と呼ぶことを提唱したとき、この一派の筆頭は他の誰でもない、リストになっていたのである。しかしその一方で、「新ドイツ派」におけるベルリオーズの位置は、極めて微妙であることがわかった。ブレンデル自身、名称提唱の少なくとも2年前まで、そして提唱から半年余りの後には、ベルリオーズにおける「フランス性」一つまり「新ドイツ派」の根本条件に反する要素-が否定できないことを認めているように、ベルリオーズは名称提唱当時すでに、決して文句なしの「新ドイツ派」ではなかったのである。にもかかわらずブレンデルが「新ドイツ派」を「三人組」とした理由-これは明らかに、1830年代には音楽著述の世界で一般化していた「ヴィーン古典派」のあの「三人組」を念頭に据えていたからである。ブレンデルの「新ドイツ派」は、リストを筆頭とする「現代音楽」の潮流を人々に知らしめること、そしてそれだけでなく、音楽史において「ヴィーン古典派」に並ぶ地位と重要性を持つ一派として、歴史的に確立させようという意図の下に提唱された用語なのである。
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Research Products
(2 results)