2007 Fiscal Year Annual Research Report
帝国日本の理念外交-戦前・戦時期の太平洋問題調査会(1925-1945)を中心に
Project/Area Number |
07J09061
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Research Institution | The University of Tokyo |
Principal Investigator |
三牧 聖子 The University of Tokyo, 大学院・総合文化研究科, 特別研究員(DC2)
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Keywords | 国際関係史 / アジア太平洋 / 国際交流 / 日本史 / 外交史 / 戦間期 / アメリカ史 / 国際連盟 |
Research Abstract |
戦間期において、太平洋問題調査会(Institute of Pacific Relations : IPR 1925-1961)は国際連盟知的協力委員会と並ぶトランス・ナショナルな知的交流の場となった。従来の研究はIPRを、連盟の射程に十分に収まっていなかったアジア太平洋地域に、国際協調の原理を実践する試みとして位置づけ、連盟が模索した国際協調のあり方と、IPRが追求したそれとの間に重要な相違があったことに十分留意してこなかった。本研究は、IPRにおける国際協調の試みが、連盟のそれと共鳴しつつも、同時にアジア・太平洋地域の特殊性を色濃く反映したものであったことに着目し、戦間期IPRの歩み、その思想的意義を明らかにしようとするものである。 具体的には、コロンビア大学所蔵の一次史料等に依拠しながら、IPRにおいて移民問題や人種問題など、連盟では「国内問題」として討議が避けられるか、不問に付されてきた問題が積極的に討議された様を明らかにした。第2回IPR会議(1927)では、アジア太平洋地域に不戦条約を成立させようとしたジェームズ・T・ショットウェルの提案は、一方で国際協調の表現として歓迎されたが、他方でアジア太平洋の国際秩序にとって喫緊の課題は、いかに現状の秩序を維持するかより、いかに平和的に秩序を変更していくかにある、アジア太平洋の人々にとっては政治・軍事的な意味での安全の確保よりも、各国の経済発展・経済的公平性を実現し、下から国際協調を支える土台をつくることがより重要であるという原理的な批判も蒙った。このような戦間期IPRの歩みは、アジア・太平洋という「地域」の視座から、連盟やパリ不戦条約など、欧米各国同士の関係を第一に想定して構築された「普遍」主義の盲点を問い直し、人種平等や経済的公平性など、より弱者に配慮した普遍主義の契機を内在させるものとして意義付けられよう。
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