2008 Fiscal Year Annual Research Report
帝国日本の理念外交-戦前・戦時期の太平洋問題調査会(1925-1945)を中心に
Project/Area Number |
07J09061
|
Research Institution | The University of Tokyo |
Principal Investigator |
三牧 聖子 The University of Tokyo, 大学院・総合文化研究科, 特別研究員(DC2)
|
Keywords | 外交史 / 国際関係史 / アジア太平洋 / 日本 / 地域主義 / 戦間期 / 知識人 |
Research Abstract |
本研究は、戦間期太平洋問題調査会の歴史的展開とその思想的意義の考察である。本年度は研究成果を総括し、11月に九州大学で開催されたアジア市民社会公開シンポジウムで、12月に神戸大学日本政治外交史研究会で報告を行った。 前者の報告は、アジア市民社会の形成という現代的課題に照らしたとき、IPRの歴史的軌跡は何を示唆しているのかを探ったものである。一般に地域連帯という課題は、いかにナショナリズムを克服していくかという課題と同一視される。従来のIPR研究も、狭隘なナショナリズムの克服というIPRの理念を高く評価し、協調的に討議が進められた1920年代のIPRにその理念の具現化を見出し、従属地域が虐げられてきたナショナリズムの充足を求め、欧米諸国と対立していった1930年代以降のIPRを否定的に評価してきた。これに対し本報告は、1930年代以降のIPRを、従属地域代表が、従属地域のナショナリズムを抑圧した上に成り立っていた「地域連帯」を批判的に問い直し、水平的な地域連帯を求めていく過程として意義付け直した。 後者の報告では、日本IPRの「理念外交」の展開とその限界を考察した。IPR発足当時から日本代表は移民問題に関して積極的に発言し、参加諸国間に移民排斥、特に人種を理由とした排斥の不当性に関するコンセンサスを形成していった。1930年代以降、日本IPRは国際社会とのほぼ唯一の窓口となったIPR大会で、一方で満州事変の正当性を擁護しながら、他方で不公正な国際秩序を平和的な手続きによって変更する仕組みを強化する必要を訴え、各国の原則的賛同を得た。日本IPRの試みは、戦間期日本外交が、武力による暴力的な現状変更とも、矛盾を孕んだ既存秩序への消極的順応とも異なる、自らの苦境を普遍的な理念で表現し、平和的に現状の改編を求めていく第三のモメントを持っていたことを示すとともに、具体的な外交案件に没頭し、明確な国際秩序のヴィジョンを持たない「無思想の外交」(入江昭、1966年)とされてきた近代日本外交全般の再評価を促すものである。しかし本報告のもう一つの強調点は、日本IPRの「理念外交」が、日本自身の「帝国」性によって大きく制約されたことにあった。すなわち日本は、一方で移民の自由やより開放的な経済秩序が実現された新秩序を求めながら、他方で既存帝国主義の温存を強固に主張し、中国や朝鮮をはじめとする従属地域との距離を肥大化させていったのである。日本IPRの「帝国」と「理念外交」という二面性は、戦間期日本が抱えた根本的矛盾を端的に表している。
|