1996 Fiscal Year Annual Research Report
仏教を中心としたインド・中国の文化交流に関する研究-入竺法僧の実態解明-
Project/Area Number |
08610028
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Research Category |
Grant-in-Aid for Scientific Research (C)
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Research Institution | Otani University Junior College |
Principal Investigator |
木村 宣彰 大谷大学短期大学部, 教授 (80103117)
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Keywords | 入竺求法僧 / 法顕 / 『仏国記』 / 朱士行 / 玄奘 / 義浄 / インド / 『大唐西域求法高僧伝』 |
Research Abstract |
中国からインドへ仏教を求めて旅をした法顕や玄奘は著名であるが、他の数多くの入竺求法僧についてはほとんどその実態が明らかにされていない。そこで中国において3世紀から始まったインド求法の潮流はいかにして興起したのか。また、5世紀にもっとも隆盛するのはなぜか。それら多くの入竺求法僧が中国仏教に与えた影響はどのようなものであったのか。これらの未解決の課題を解決するためにまず『出三蔵記集』『高僧伝』『大唐西域求法高僧伝』など中国仏教の資料を精査した。さらに入竺求法僧が記した旅行記のうち既に散逸した記録を蒐集し解読につとめた。それらの調査と研究によって朱士行・法顕・道整・智厳・宝雲・智猛・法勇・恵生・宋雲らの入竺の目的や動機および実態が明らかになった。求法僧の入竺の動機や目的は、単に仏陀の聖地を巡歴することを目指す巡礼のようなものでなく、仏教を正しく理解したいという極めて学問的な欲求に基づくものであった。このことは従来看過されがちな点である。中国仏教の最初の求法僧とされる朱士行の目的も、仏の聖地の巡礼を目指すものでなく『般若経』の原典を求めるものであった。中国において仏教の理解がようやく深まってきた3世紀ころから求法のための旅が始まる理由がここにある。また5世紀に最盛期を迎えるのはインドと中国のそれぞれの条件が揃ったためであった。殊にインドにおいては仏教大学ともいうべきナ-ランダ寺が完成したことが中国から入竺僧を増大させる大きな条件になっていた。またインドに到達した中国僧の留学の拠点となる「漢寺」と呼ばれる寺が存在したことなどを確かめることができたことは一成果であった。
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Research Products
(1 results)