1997 Fiscal Year Annual Research Report
Project/Area Number |
08610419
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Research Institution | Historical Museum of Hokkaido |
Principal Investigator |
山田 悟郎 北海道開拓記念館, 学芸部, 学芸主査 (00113473)
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Keywords | 擦文文化 / オホーツク文化 / 畑作農耕 / オオムギ / アワ / キビ / ヒエ |
Research Abstract |
本州の平安時代に相当する擦文文化の経済基盤は、河川でのサケ・マス漁とされてきた。しかし、最近の調査では各種の雑穀を栽培する畑作農耕を行っていたことが明らかになっている。今年度の研究でさらに数遺跡で雑穀栽培が行われていたことが明らかになり、畑跡はまだ確認されていないが、7世紀後半から12世紀末までの34遺跡からアワ、キビ、オオムギなど16種類の栽培植物種子が出土し、雑穀を栽培した畑作農耕がほぼ全道域で展開されていたことが明らかとなった。 畑作農耕は7世紀後半から9世紀中頃までは石狩低地帯以南の地で展開されたが、擦文文化の集落が石狩低地帯以北や以東に進出する9世紀後半頃から12世紀には、温暖な気候を背景としてほぼ道内各地で畑作農耕が展開された。ただ、石狩低地帯以南では7〜8種類の作物がみられるのに対し、以北では多くても4〜5種類と作物の種類は少ない。 また、10世紀以降の遺跡から出土したオオムギに違いがみられる。石狩低地帯以南のオオムギは東北地方北部にその系譜が求められ、以北のオオムギは大陸沿海地方の鉄器文化で栽培されていたものにその系譜が求められる。大陸系オオムギの導入にあたっては、大陸との交易を行っていたオホーツク文化の集団が関与していたことが明らかになった。 擦文文化の集団は河川や海洋での漁業や海上・陸上での狩猟も行っていたことは、出土した魚骨・獣骨から明らかで、畑作農耕や漁労・狩猟での生産物をその経済基盤としていた。狩猟・漁労生産物の一部は、自ら生産できない鉄器などを導入した対価となっていたものと考えられる。 海運による交易経済が発達した12、13世紀には、擦文土器や竪穴住居が使用されなくなり、擦文文化からアイヌ文化へと変容する。今後は、擦文文化で行われた畑作農耕がアイヌ文化のなかでなぜマイナ-なものとなっていったのかを明らかにしていきたい。
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Research Products
(1 results)