1996 Fiscal Year Annual Research Report
Project/Area Number |
08610436
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Research Category |
Grant-in-Aid for Scientific Research (C)
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Research Institution | Aichi University of Education |
Principal Investigator |
井爪 康之 愛知教育大学, 教育学部, 教授 (50131686)
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Keywords | 連歌師 / 源氏物語 / 注釈書 / 講釈 / 里村家 / 本歌 / 本説 / 家 |
Research Abstract |
連歌師は世襲制を嫌って、妻帯さえも潔しとしなかった。ところが、里村家の始祖にあたる谷宗牧(?-天文-四年〈1545〉)は、初めて、一子、宗養(大永六年〈1526〉-永禄六年〈1566〉)に自らの後継を託す用意をした。ここに、連歌の「家」が出現する。連歌師はものを書き残すことを好まなかったが、宗牧は宗養を訓育するために、連歌の基礎知識を纏めた当風連歌秘事を与えた。また、源氏物語などの古典を積極的に講釈して連歌の素養を積ませ、弟子の昌休(永正七年〈1510〉-天文二一年〈1552〉)に書き取らせた。これが、里村家の源氏物語注釈書である休聞抄の基礎資料になった。「家」は連歌師の文学活動のありかたを変えてしまった。宗牧が他界すると、高弟の里村昌休が遺志を継いで、宗養の養育に全力を傾けた。宗牧も三八歳の若さで世を去って、昌休が連歌界を領導する。昌休には昌叱(天文八年〈1539〉-慶長八年〈1603〉)という実子があった。一方、紹巴(大永四年〈1524〉-慶長七年〈1602〉)は周桂(?-天文一三年〈1544〉)に師事したが没後、昌休の門に入っていた。昌休没後は年少の昌叱の後見をしたが、秀次事件(文禄四年〈1595〉)を機に不仲になり、里村家は南家の昌叱の門と北家の紹巴の系統に分かれる。昌叱は昌琢(天正元年〈1573〉-寛永一三年〈1636〉)、紹巴は玄仍・玄仲の子をなして、江戸時代まで続くのである。このように、概括的に、枠組みはできるものの、細かな資料の裏付けがあるのではない。この度、蒐集したものの中、永禄三年紹巴昌叱両吟千句は、昌叱二一歳の時のもので、紹巴の自注が付いている。若い昌叱を指導するためか、本歌・本説を多く採っている。連歌作品と源氏物語の注釈書を突き合せて、古典作品の注釈書を取扱う新たな視点を得ることができた。新しい観点から資料の蒐集・解析に努め、所期の目的を達成したい。
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