1997 Fiscal Year Annual Research Report
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08672713
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Research Institution | HIROSIMA perfectural College of Health and Welfare |
Principal Investigator |
高田 節子 広島県立保健福祉短期大学, 看護学科, 教授 (80035336)
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Co-Investigator(Kenkyū-buntansha) |
田村 典子 広島県立保健福祉短期大学, 看護学科, 講師 (10280182)
塚原 浩子 広島県立保健福祉短期大学, 看護学科, 助教授 (60280179)
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Keywords | 日赤看護婦留学第1号 / 田淵まさ代 / 竹内 文 |
Research Abstract |
田淵まさ代の特筆すべき業績として1.1)大正10年〜11年(1921〜22)に英国ロンドン大学ベットフォード女学部で開催の第2回国際的公衆衛生看護講習会へ留学、このことは日赤本社看護婦養成科目に社会衛生看護の1課を加えることになった。2)帰国後、語学の必要性を感じ、日赤看護婦に看護婦外国語学生規則の制定を進言し、内地留学制度が実現した。3)大正12年(1923)選ばれて北白川宮妃殿下の看護でペリ-へ出張を命じられた。4)昭和12年(1937)フローレンス・ナイチンゲ-ル記章を受賞したなどをあげることができる。 2.本年度明確になった事項、まさ代が大正10年に留学生に選ばれたのは、英語が堪能であったことによるが、英語は看護婦養成所入学以前である津山女学校時代から学習を重ねていた。とりわけ津山女学校校長竹内文の進歩的な考えや教育に対する強い情熱に影響を受けたといえる。本年度は主として文についての一次史料の収集ができた。文は神戸女学院を卒業し夫馬場種太郎と北海道へ渡るがこの時の同窓会誌『めぐみ』7号(明治26年)によると『益軒十訓』より益を得たからと『益軒十訓』を抜粋して寄稿していた。また同書を書籍館の一書とするように薦めている。その後、京都に住み夫は京都看病婦学校で伝道師として教鞭をとっていたが死亡した。夫亡き後故郷で津山女学校を開設し子女の教育に専念する。この時まさ代は津山女学校で教育を受け、日赤本社病院看護婦養成所へ入学上京を契機に文も上京してお互いに親交を深めている。『めぐみ』37号(明治36年)によると文は東京都支部書記を勤め支部会を開き会の様子を支部通信に載せている。大正10年12月、日赤本社病院にて54歳で永眠した。次男延原謙はコナン・ドイルの翻訳家である。
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Research Products
(1 results)