2009 Fiscal Year Annual Research Report
『三国史記』「屋舎」条の分析による統一新羅時代の都市住宅に関する研究
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08F08075
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Research Institution | The University of Tokyo |
Principal Investigator |
藤井 恵介 The University of Tokyo, 大学院・工学系研究科, 教授
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Co-Investigator(Kenkyū-buntansha) |
李 〓美 東京大学, 大学院・工学系研究科, 外国人特別研究員
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Keywords | 統一新羅時代 / 王京 / 住宅 / 三国史記 / 屋舎 / 家作規制 / 室長広 / 東アジア |
Research Abstract |
(1)「屋舎」条の成立経緯 まず、『三国史記』「志」及び「屋舎」条を、唐令及び「営繕令」と比較すると、『三国史記』「志」と「屋舎」条は、編目構成、記述方式、公布時期において、唐の文宗が832年(太和6)に旧制を修正し改めて下した勅令(『唐会要』の「営繕令」)と一致し、「屋舎」条の成立における唐からの影響が認められる。そして、新羅と唐との間における家作規制の法令に見られるこのような密接な関連性を考えると、その実体が知られてない「屋舎」条以前の家作規制である「旧章」の内容も、唐代の文宗以前の「営繕令」により、ある程度は把握できると考えられる。 (2)新羅王京の住宅遺構と「屋舎」条の「室」 新羅王京の発掘資料を分析した結果、「屋舎」条の公布と時期的に重なる第二次造営期(8-9世紀)に属する住宅址から検出された建物址の中で、位置や規模により中心建物と判断される遺構は、正面3間、側面2間の柱間構成と規模を持つものが最も多く、これが「屋舎」条及びそれ以前の「旧章」においての主な規制対象となった「室」の遺構であると考えられる。しかし、これらの遺構の殆どは正面の長さが、当時の最高貴族に当たる真骨の住宅における室の制限規模の24尺(約7.2m)を超えており、これが当時「屋舎」条の制定・公布における直接的な理由となったと考えられる。 一方、正方形平面を持つ二つの遺構(方3間、方1間)は、共に正面と側面の長さが「屋舎」条の五頭品住宅における室の制限規模である18尺(約5.4m)以内に収まっており、当時に「屋舎」条の制限を受けて新築された室の遺構と推測される。また、「屋舎」条で身分別に室の規模を「長広〇〇尺」として正面と側面の規模を同じ長さで制限しているため、このような正方形平面の室が立てられるようになったと考えられる。なお、母屋と前庇の柱筋が通ってない変則的な間取りをもつ室の遺構もあるが、この場合は間数で規模の制限することが難しく、そのため「屋舎」条では長さで室の規模を制限するようになったと考えられる。 一方、正面3間、側面2間の室が多かったということは、「屋舎」条以前の「旧章」の内容とある程度の関連性が想定される。これを唐令の変遷過程と合わせて考えてみると、「旧章」の内容は正面3間、側面2間の室を基準にして『唐六典』(「宮室之制」)のように側面の長さを制限したものであった可能性が高いと推定される。しかしこの場合、前面に庇を取り付ける方法で増築が行なわれると、側面間数の算定基準が曖昧になる可能性が生じる。後の「屋舎」条では、そのような変則的な増築を防ぐため、間数ではなく長さで室の規模を制限するように変わったと考えられる。
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Research Products
(2 results)