2009 Fiscal Year Annual Research Report
Project/Area Number |
08J05136
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Research Institution | Kansai University |
Principal Investigator |
天野 忠幸 Kansai University, 文学部, 特別研究員(PD)
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Keywords | 三好氏 / 法華宗 / 禅宗 / 寺社政策 / 権力秩序 / 家格 |
Research Abstract |
本研究は、16世紀に畿内・瀬戸内海東部を支配した三好氏権力を前提に、その織田・豊臣政権への展開を宗教勢力とのかかわりを主軸に分析しようとするものである。 三好氏権力は、摂津における山をめぐる村落間の争論を裁許するなど調停能力を示したが、法華宗教団内の争論についても裁許を求められた。京都の法華宗本山寺院の間で結ばれた「永禄の規約」は、従来は教義上の争論の和解として理解されてきた。しかし、京都を取り巻く軍事的緊張に対して形成された法華宗教団の臨時的な結合体が、三好氏の保障と調停により、平時にも存続するための条件を整備したものであったことを明らかにした。三好氏権力と法華宗教団(戦国仏教)の直接的な関係の形成は、室町幕府が比叡山延暦寺(顕密仏教)を介して行っていた寺社政策からの転換点の一つと評価できる。また、将軍や諸大名の葬礼を担った禅宗と三好氏権力の関係を検討した。三好氏は、足利将軍が住持を任命する五山に対抗して、山隣の大徳寺と関係を取り結び、大徳寺の下に五山を包摂する新たな宗教秩序を志向していたことを明らかにした。ここでも室町幕府の寺社政策からの転換が指摘できる。 このような宗教秩序だけではなく、室町幕府は家格を介して武家権力の秩序を維持し、東国の上杉謙信や西国の大友宗麟の戦争に影響を与えてきた。それに対して、畿内では三好長慶が足利義輝を追放した際に天皇と直接関係を形成し、将軍の位置を絶対的なものから相対的なものに変質させた。また、義輝との和睦後も家格を急上昇させ諸大名や公家の強い反発を受ける一方で短期間で受容されていくなど、武家権力秩序を変質させていくことを明らかにした。 さらに、従来より畿内政治史の叙述に使用されてきた軍記物『細川両家記』について、三好氏家臣とされる著者の生嶋宗竹の歴史観を検討し、三好長慶段階においては三好氏権力の上層部の情報を知りえる立場になかったことの限界性や、織田政権の成立を予定調和的に描かないことの有効性を指摘した。
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Research Products
(5 results)