2008 Fiscal Year Annual Research Report
Project/Area Number |
08J10666
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Research Institution | The University of Tokyo |
Principal Investigator |
山口 道弘 The University of Tokyo, 大学院・法学政治学研究科, 特別研究員(PD)
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Keywords | 勘気 / 国制史 / 刑事責任 / 検断 / 宥免 / 荘園制 / 公儀 / 互酬性 |
Research Abstract |
本年度は、室町期・戦国期武家法制に於ける、「勘気」処罰に就いて、その法理的・国制史的闡明を行った。大凡、以下の事柄を明らかにする事が出来た。即ち、第一に、鎌倉期以降、武家法に於いては、検断が追捕と安堵とに支えられた、罪名の定まらない「罪科人」処罰の局面-これを検断の第一段階と名づける-と、具体的罪科に相即した、具体的「罪科」に対する処罰の局面-これを検断の第二段階と呼ぶ一との、二つの段階に観念的に分節されていた。検断は、検断の第二段階に至って始めて、勝義に落居した、と考えられていた。従って、罪名未定(具体的には、「罪科の軽重」を問わないことである)の場合には、取分け武士階層に於いては、主人の「勘気」-これは本質的に検断の第一段階に止まる-に対し、判決の瑕疵を理由として上告することを得た。この際、譜代性や、忠功といった要素が、「勘気」宥免を獲得する為に、重要な役割を果たしていた。上記の二段階分節は、室町期荘園制に相即して形成されたという側面を有するが、戦国期に至るや、荘園制の崩壊を受けて、家臣処罰の為の手段として、専ら軍制上の理由によって運用されるに至る。この事は、幾つかの戦国大名の分国法に於いて、忠功による「勘気」処罰宥免を、家臣団統制の為に許容しない、とする立法の発生により裏付けられる。尤も、家臣処罰は、「公儀」の法とは観念され難かったようであり、忠功による「勘気」処罰の宥免停止措置は、ポトラッチの形態を発生させる事はあっても、互酬性から離れた、厳格な意味に於ける責任概念の成立には至らなかったようである。この点は、近世初期から中期の江戸幕府法や藩法の検討を待って結論付けられるべきであると考える。
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Research Products
(1 results)