2009 Fiscal Year Annual Research Report
Project/Area Number |
08J10817
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Research Institution | The University of Tokyo |
Principal Investigator |
小野寺 研太 The University of Tokyo, 大学院・総合文化研究科, 特別研究員(DC2)
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Keywords | 市民社会論 / 戦後思想 / アダム・スミス / 近代化 / 社会思想史 |
Research Abstract |
二〇〇九年度は、経済思想を中心とする戦後の市民社会論が周辺の関連するディシプリンとの間に持った緊張関係を検証することができた。 戦後、内田義彦を中心に思考が深められた市民社会論の重点は、いかにして戦前の生産力論や戦後の経済政策とは距離を置いた、近代化の方向性を見定めるかという点にあったといえる。内田が志向したのは、外来の技術や制度、知識を表層的に吸収することに終始せず、社会の近代化を原理的に捉える経済社会の方向性であり、その意味では彼もまた丸山眞男や大塚久雄ら、「近代主義」や「戦後啓蒙」と呼ばれた知識人に属している。だが、一般に「近代主義」として戦後の社会科学者が扱われる場合、エートスや政治的主体の側面が通説として重視されてきたが、内田の場合、アダム・スミスに即しながら、分業の最大化から商品経済の全面化、人間同士の等価関係を弁証する論理を組み立てた。そのため、内田において市民社会とは、単に近代ブルジョア社会とする位置づけとは異なる広義の意味を含むことになった。 この点は、現在でも「市民社会派」といった呼称で一括化される知識人集団内部の市民社会認識が、決して一元的なものでなかったことを示している。例えば水田洋の社会思想史では、内田が示唆したように社会主義にまで連続する概念だとは捉えられていない。また、丸山や福田歓一らの活躍した政治思想史のように、近代以降の政治的一体化の論理を追求した分野にとって、資本主義の純粋型を社会主義にまで延長可能な、社会発展の基層に据えようとする発想が受け容れられる余地は小さかった。このように、戦後に改めて原理的近代を模索したという点で戦後の社会科学は共鳴する部分を備えていたが、その作業は各々の学問的方法や潮流に則って行われた。よって内田が見出したような仕方での市民社会の積極的評価が全てであったわけではなく、この点はよく注意される必要があるといえる。
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Research Products
(3 results)