2008 Fiscal Year Annual Research Report
Project/Area Number |
08J10817
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Research Institution | The University of Tokyo |
Principal Investigator |
小野寺 研太 The University of Tokyo, 大学院・総合文化研究科, 特別研究員(DC2)
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Keywords | 日本思想史 / 市民社会論 / 戦後思想 / 経済思想 / アダム・スミス |
Research Abstract |
二〇〇八年度は、戦後の市民社会論を基礎づけた経済思想と市民社会概念の関係性、並びにそうした市民社会概念が他の社会科学思想の言説との間にもつ緊張関係に関する検証が進展した。 戦後に本格化する市民社会論を準備したのは、第二次大戦中に公表されたアダム・スミス研究の湖流である。大河内一男は、スミスが前提としているホモ・エコノミクスが、同感によって社会における行為の適宜性を判断することができる点で「正義」の徳性を備えており、なおかつそれは経済的合理性を重視する慎慮の徳性を持ったものだと捉えた。これに対して、違う角度からスミスの思想を研究したのが、高島善哉である。彼は、スミスの思想は道徳や法学、経済学といった分野に及んでいる点で、従来の経済学とは異なる包括的な「経済社会学」だと述べた。その経済社会学の対象こそ市民社会であるが、高島は市民社会と国家が切り離し難い相互依存の関係にあることを指摘している。この市民社会とは市場社会を意味しているが、高島はそれを「生産力の体系」と名づけた。 戦後登場する内田義彦は、こうした戦時中のスミス研究を受け継ぎ、戦後の市民社会論を立ち上げた。彼は、高島が見出したスミスの市民社会概念をよりラディカルなものとして捉えた。彼は、スミスの目的が当時の重商主義政策を徹底的に批判し、国家からの強制がなくとも社会は自律的に発展していけることを証明する点にあったと指摘した。だがこの市民社会の自律性は、市場の自由放任を意味するのではなく、スミスが富と見做した生活必需品を最も多く生産するための資本投下の型を前提としていた。スミスは商工業よりも先に農業に資本が投下されることを主張したが、内田は同じことが日本にも当てはまると述べていた。このような農業志向の資本主義綸は、同時代的には大塚久雄の近代経済史研究にも濃厚であり、内田が自律的な市民社会を想定する場合も、農村工業から徐々に展開する資本主義という限定が含意されている。したがって内田の市民社会論を見る際に重要なのは、彼のこの概念が戦後日本の国内経済の再生という課題と密接に関連するものであったという点である。 戦後の社会思想史における市民社会論は、スミスを一つの核として生成されたものであったといえる。よってそれは、市場社会の自律性を日本の文脈に適用させながら論じるものとして洗練されていったのである。
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