2008 Fiscal Year Annual Research Report
藝術とその正当性:決疑論と萌芽期美学の思想連関を検討主題として
Project/Area Number |
08J11239
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Research Institution | The University of Tokyo |
Principal Investigator |
森元 庸介 The University of Tokyo, 大学院・総合文化研究科, 特別研究員(PD)
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Keywords | 美学 / 道徳神学 / 教会法 / 決疑論 / フランス:イタリア:スペイン |
Research Abstract |
ヨーロッパ近世の決疑論において藝術、とくに演劇にいかなる位置が与えられたかを調査するという綜合課題のもと、平成20年度はとくに寛解的な立場について、その構成の過程を明らかにすべく努めた。 まず、当初の研究計画に準じて、中世から近世にかけてのトマス・アクィナス再解釈に検討を加え、『神学大全』の当該所説が、初期決疑論以来の反復的な引用をつうじて権威化する経過を把握した。演劇を中心とする藝術は、そこで「遊興(ludus)」の主題のもとに考察の対象となり、贖罪を中心とする信仰の領域と対置される。この対置は、12世紀半ば以降とくに整備の進んだ教会法では、妥協を許さぬ絶対的なものとされたが、神学の言説はこれを緩和し、遊興を世俗世界に固有の活動として一定限度のもとで是認する方向を打ち出した。 これと並行して、遊興の行為としての規定をやはり法学・神学の一次文献に即して検討した。中世以降の複数の教皇令は、遊興における行為を心神喪失のもとにある行為と等値し、法的に無価値であると定める。とくに重要なのは、洗礼の有効性をめぐる議論である。アウグスティヌス以来、心身喪失者を含めて内的信仰を欠いた主体への授洗は「虚構(fictio)」とみなされ、秘蹟としての効果を発揮しないとされたが、舞台で演じられた洗礼行為もその一例である。近世の決疑論家の一部はこの議論を反転させ、藝術における悪の表象を実質的な効力をともなわぬものとして擁護する理路を示し、結果として遊興の問題を虚構の問題へ接続する。 以上により、藝術が、外的には世俗に固有の営為であり、内的には意図を欠落させた不完全な営為であるという二重の規定のもと、道徳神学の立場から一定の承認を受ける過程が把握された。 史料体の整備を中心に基礎的な研究に注力した結果、成果公表に至らなかったことは遺憾であるが、今年度以降の発表のために必要十分な内容を得たと考える。
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