2010 Fiscal Year Annual Research Report
生態学者の社会的発信 日米の生態学会の比較を中心として
Project/Area Number |
09J06779
|
Research Institution | The University of Tokyo |
Principal Investigator |
住田 朋久 東京大学, 大学院・総合文化研究科, 特別研究員(DC1)
|
Keywords | 公衆衛生学史 / 疫学史 / 裁判における科学 |
Research Abstract |
今年度は、生態学とともに1970年前後に注目を浴びた疫学が裁判の場で取り上げられるに至った過程についてインタビューを含めた調査を行い、疫学的因果関係論が判決で述べられるまでの公衆衛生や法の専門家の役割とその関わりを明らかにした。 1964年に始まった加藤一郎らの公害研究会は法学者と公衆衛生学者が参加したものだったが、法分野での文献において疫学が注目されたのは戒能通孝による1967年の『法律時報』の座談会だった。すでに公害訴訟が提起されていた時期であったが、これが法の専門家が疫学に目を向けるきっかけとなったと考えられる。具体的に疫学的因果関係論が構築されていったのは、四日市訴訟に直接関与した弁護士と公衆衛生学者の吉田克己とが議論を重ねるなかにおいてであった。吉田は公衆衛生を専門としていたが、大気汚染や疫学に関わるようになるのは三重県立大学に着任して地域に貢献する研究を目指したのちの1960年代になってからだった。吉田は弁護士と議論するなかで、疫学4条件を見出し、議論を構築していった。一方裁判官は、法廷での証言に加えて、裁判官研究会の場で公衆衛生や法学の研究者の話を聞き、判決を執筆した。なお、判決に影響を与えたとされる最高裁による裁判官会同では、議事録をみるがぎりでは疫学的因果関係論についてはそれほど議論されてはいない。しかし、この会同後の衆議院法務委員会では、民事局長の矢口洪一が疫学的方法について言及した。 これらの成果を、科学技術社会論の国際会議(東京)での報告や論文「四大公害裁判期における疫学的因果関係論 1967-1973」(http://hdl.handle.net/2261/43562)として発表し、各国の多くの研究者と議論することができた。
|
Research Products
(5 results)