2009 Fiscal Year Annual Research Report
戦後音楽運動における公共性の諸相―戦後民主主義再考のために―
Project/Area Number |
09J07138
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Research Institution | Kyoto University |
Principal Investigator |
長崎 励朗 Kyoto University, 教育学研究科, 特別研究員(DC1)
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Keywords | 教養 / 音楽 / 社会教育 / 公共性 / プロデュース / 社会関係資本 |
Research Abstract |
当初の計画通り、昨年は様々な労音関係者へのインタビューを実施し、査読雑誌には2本の論文を投稿。内1本は掲載が決定している。10月には学会における口頭発表もおこなった。こうしてみると、昨年は成果発表に勤しんだ年だというようにも思えるが、その陰で学問上の大きな進歩も見られた。労音に最も多く出演していた歌手、ペギー葉山氏やその事務所社長である太田氏にインタビューをとるうちに、新たな研究のパースペクティブを獲得したのである。それは彼らの口から浅野翼なる人物についての話題が出たところから始まる。この人物は資料等には全く残っていないが、実は山崎豊子の小説『仮装集団』の主人公のモデルであり、その実態は初期の労音を支えた名プロデューサーだというのである。浅野翼を調べる内にわかってきたのは、全盛期の労音やその他の同時代の組織には優秀なプロデューサー達が存在していたことである。彼らは自分たち自身が専門家になるのではなく、優秀な専門家たちを適材適所に配置することで素晴しい作品群を創造していった。専門家たちが有している能力を「貫く知」と表現するならば、むしろプロデューサーは「連ねる知」とでも呼ぶべき能力に特化しているといえるだろう。分野の専門分化が進み、違った分野の人間同士が共通言語を持てなくなりつつある現代においてこそ、この「連ねる知」は重要な意義を持っている。なにもこれは芸術やテレビ番組といった分野に限らない。学問の面でも「連ねる知」の衰退による弊害が起こっていることが、昨年の京都大学人文学研究所の記念講演でも加藤秀俊氏によって指摘されている。「玄人」と「素人」の間にあってその両者に受け入れられる作品を創造するバランス感覚を持ったプロデューサー達こそが、中間文化の時代の公共性を担保する作品を生み出しえたのではないか。これが一年間の研究を経た現在における私の仮説である。
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Research Products
(2 results)