2009 Fiscal Year Annual Research Report
ブラジル日系移民知識人の道徳言説と移民社会の構造変容の研究
Project/Area Number |
09J10682
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Research Institution | The University of Tokyo |
Principal Investigator |
佐々木 剛二 The University of Tokyo, 大学院・総合文化研究科, 特別研究員(DC2)
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Keywords | 移住 / 日系移民 / 日系人 / 文化人類学 / 民族誌 / ラテンアメリカ / 国際情報交換 / ブラジル:フランス |
Research Abstract |
本研究は、1920年代に形成されたブラジル日系移民知識層の活動と言説、そして移民社会を巡る構造変容がそれに与えた影響を検討することを目的とする。本年度は、ブラジル・サンパウロにおける滞在調査、及び国内における文献調査を中心としてデータの収集・分析を進めるとともに、論文発表等を通じて成果を報告した。 ここでは主に1920年代に生じたブラジル日系移民知識層の形成に重点をおいて研究を進めた。この時期には、ブラジル邦人社会を巡って、大きく、分けて二つの社会学的な出来事があった。一つは、「伯刺西爾時報亅「日伯新聞亅をはじめとする日本語新聞の発刊とその普及によって、知識共有を通じた一定の共同体が形成したことである。さらにこの時期の新聞編集者たちは、日本帝国主義の枠組みを独自の視点で解釈し、ブラジルにおける在外邦人社会の役割を説き、盛んに社会批評を行ったことを通じて、自ら広義の知識生成の担い手となっていった。また農移民層に広く見られた帰国への指向性を批判し、多くの場合、永住主義を説くことでこれとは異なる集合性を形成した。もう一つは、信濃海外協会が1924年に創設した「アリアンサ移住地」において、それまでの日本からの移住者の主体であった農民層とは異なった、比較的高い水準の教育を受けた移住者が流入し、独自の文化的活動に従事したことである。これらの人々は、はじめのうちは「銀ブラ殖民」などといった言葉で外部から揶揄されることもあったが、「GAT運動」を初めとする農業改革・永住運動やそれまで見られなかった文化的活動などの担い手となった。特に、1930年代後半には、この移住地の人々を中心に「移民として移民について語る」という自己言及的な歴史書記の実践が行われ、その後の移民社会の知的活動の一つの原型となった。 こうして形成した戦前のブラジル日系移民知識層の言説や活動は、さらに戦後の移民知識人たちの知識生産、及び政治実践に受け継がれていくが、これについては来年度の研究計画において更に詳細な分析を行う予定である。
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Research Products
(4 results)