1999 Fiscal Year Annual Research Report
戦前の官庁営繕組織所属の建築家-永瀬狂三と山田七五郎-の研究
Project/Area Number |
10650630
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Research Institution | Fukui University |
Principal Investigator |
高嶋 猛 福井大学, 地域共同研究センター, 講師 (20115299)
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Keywords | 官庁営繕 / 永瀬狂三 / 山田七五郎 / 森田銀行 / 長崎土木部 |
Research Abstract |
今年度は永瀬狂三について京都大学、及び京都での活動についての調査を行った。山田七五郎については九州での活動の補足調査、及び横浜市での活動を調査した。 1.永瀬狂三 明治39年10月に東京帝国大学卒業後、横浜の下田築造合資会社に入社している。「実業の横濱、第3巻第4号(M39.11/25)、同6号(M40.1/10)」(横浜市立図書館蔵)に永瀬狂三名で、「建築.製図.設計の依頼に応ず」とあり、翌年5月に辰野片岡事務所に入るまでの横浜での活動の一端が伺える。京都大学では大正8年から建築部長(12月17日から建築課長)を勤めるが、例えば文学部陳列館の図面を見ると、建築顧問として武田五一の印鑑が押されたものもあり、学内の重要な建築では武田が学内の建築に対して目を通していたことが知られた。その中での活動であることから、むしろ武田の関与しない建築(例えば別府地震観測所や大和田銀行本店等)に永瀬の力量が発揮されているものと考えられる。 2.山田七五郎 長崎県立長崎図書館での文献補足調査、長崎市立博物館での文献調査により、さらに長崎県時代の活動が把握された。また、公共建築以外では、東邦電力長崎支店(大正3年)、藤瀬呉服店の民間の設計活動が確認された。 長崎県から横浜市への転任は、長崎市役所(大正4年竣工)の漏水問題が原因であったとされる。横浜市時代では、横浜市立図書館で公的文献を中心に活動を追った。福井の森田銀行との関係では、小学校の鉄筋コンクリート造による不燃化に携わる大正8年頃からそれまでの勾配屋根の建物から陸屋根へと変化する。森田銀行は山田による最初の鉄筋コンクリート造と考えられ、そのテストケースとも言える。長崎時代に腕を振るった西洋の様式的建築は、開港記念横浜開館を最後に姿を消し、その意味でも山田にとっては横浜市時代で腕を奮える作品であったと言えよう。
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