1998 Fiscal Year Annual Research Report
広隆寺の創立と同寺所蔵の菩薩半跏思惟像に関する研究
Project/Area Number |
10710019
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Research Institution | Waseda University |
Principal Investigator |
林 南壽 早稲田大学, 文学部, 助手 (60298114)
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Keywords | 広隆寺 / 蜂岡寺 / 秦寺 / 北野廃寺 / 泣き弥勒 / 宝冠弥勒 |
Research Abstract |
広隆寺は、京都最古の寺院で、同寺に伝存する宝冠弥勤と泣き弥勧の二つの半跏思惟像は日本の古代木彫を考える上で重要な作例である。また、広隆寺は新羅系の渡来人の秦氏によって建立されたことから、美術史だけではなく仏教史や日本史の方面からも注目されてきた。 従来の研究では、広隆寺は蜂岡寺とも秦寺とも呼ばれ、ある時期に創立当初の寺地が狭いとして現在地へ移転したと推定されてきた。しかし、申請者は、従来広隆寺の別寺号であると言われた蜂岡寺と秦寺という名称はもともと異なる寺院の寺号であったことを証明した。 そこで本研究では、蜂岡寺と秦寺はどこに位置していて、どのような仏像を安置していたのかという問題を検討し、「広隆寺縁起」のいう移転とは如何に解釈すべきかについて考察し、以下のことを明らかにした。 1) 蜂岡寺の寺地は京都市平野神社近くの北野廃寺で、秦寺の寺地は現在の広隆寺境内地であったこと。 2) 蜂岡寺は推古11年に創立されて7世紀後半ころに本格的伽藍への造営が行われ、秦寺は推古30年に創立されて7世紀後半まで造営が続けられていたこと。 3) 蜂岡寺には最初聖徳太子から受けた仏像を安置して創立し、七世紀後半ころの本格的な造営に際して泣き弥勤が制作した。一方の秦寺には新羅将来の仏像が安置されていたが、現在の宝冠弥勧がこれに当たる。 4) 従来の研究では広隆寺が移転したと考えられていたが、これは平安遷都によって寺領地を収用されて経済的危機に陥った蜂岡寺が秦寺へ合併されたことと解釈できる。
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Research Products
(1 results)