2010 Fiscal Year Annual Research Report
上海日本人住宅地の形成に関する研究 ―近代上海に成立した国際社会の視点から―
Project/Area Number |
10F00076
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Research Institution | Nagoya University |
Principal Investigator |
西澤 泰彦 名古屋大学, 環境学研究科, 准教授
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Co-Investigator(Kenkyū-buntansha) |
陳 雲蓮 名古屋大学, 環境学研究科, 外国人特別研究員
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Keywords | イギリス商社 / 不動産経営 / 住宅開発 / 北四川路 / 日本人地区 / 住宅改造 / 上海外国租界 / 中国人県城 |
Research Abstract |
2010年度は、本課題の目的、実施計画に沿って、日本、中国、イギリスでの調査を行い、以下の成果を上げた。 1)1890年代から上海に進出していたイギリス商社、イギリス人建築家と組織事務所、日本人開発業者が上海での不動産経営に着目し、日本人対象を含んだ住宅開発の実態を明確にした。それらは、住手が日本人、西洋人、中国人の関係なく、一筆の土地を入手した後、まず、社内の不動産部門で戸建て、二戸建て、長屋の家賃ランクを設定し、収益度合いを基準に、それぞれの土地に関する各種住宅の配置プランを開発していたことが分かった。更に、なるべく多くの家屋を一筆の土地内に収めるために、住宅団地内の路地の幅、建物の向きの変更を行っていたことを明らかにした。これにより、上海日本人住宅地の形成の過程が明確となった。 2)北四川路地区を対象として旧日本人地区の形成過程、空間特性と住居形態を探った。1890年から、英米人主導の工部局による英租界から租界外へと伸びる北四川路の開発により、その両側に、住宅地と各種都市施設が建設されるようになった。最初は、アメリカ人がこの地区に集住していたが、日本人の居住と増加につれ、アメリカ人が仏租界へと転出し、この地区は日本人地区として変容していた。日本人は英米人が開発した住宅に住み、自らの生活に合わせ、ベランダの室内化、和室の導入により、当初の住宅を改造していた。この地区は、上海の英、米、仏租界及び中国人県城から、遠く離れていた北部に存在していたが、事実上、北四川路は英租界に直接入り、四川路となり、その両側に、日系の大手企業、銀行がぎっしりと建ち並んでいた。更に、四川路は仏租界に入り、天堂街となり、県城の新北門に通じていた。これにより、北四川路地区は、英租界の日系企業に通勤していた日本人にとって、仏租界や中国人県城からも便利で、立地の良いベットタウンであることが明確になった。 上記の発見により、上海旧租界の市街地に現存する近代住宅、旧日本人街の開発経緯と空間特徴が明らかになったと同時に、近代、日本人における海外での居住形態も明確になった。これらの研究成果は、現時点において、建築学会及び建築史学にて投稿中である。また、その概要を研究分担者陳が口頭発表した。さらに、これらの地域での建物の保存・再生が現況の重要課題であり、それに関する口頭発表を研究代表者西澤がおこなった。
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