1999 Fiscal Year Annual Research Report
近代日本における西洋音楽文化の衝撃と大衆音楽の形成-黒船から終戦まで
Project/Area Number |
11610047
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Research Institution | Tokyo Institute of Technology |
Principal Investigator |
細川 周平 東京工業大学, 大学院・社会理工学研究科, 助教授 (70183936)
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Keywords | 近代化 / 音楽 / 文化変容 |
Research Abstract |
近代化という用語は非常に多義的であるが、本研究では西洋音程、公共的な教育制度、楽譜による教授・伝達、自律美学(普遍性)、公開演奏会、ナショナリズム、という六つの特質で構成されていると考える方針でいる。これらは互いに関連しながら幕末・明治の音楽文化を作りだした。明治末ごろまでの音楽史は、軍楽隊に始まる器楽、学校唱歌に始まる声楽に分けて考えるとわかりやすい。どちらも「上からの」ベクトルで広められたが、もともと互換性の少ない西洋音楽が浸透するにはかなり時間がかかった。また指導者が望んだように簡単には折衷できなかった。西洋音楽文化の土着化と、既存の音楽文化の近代化は同時に進行したが、決してシンメトリックなプロセスではなかった。「下からの」抵抗が思いのほか強かったからである。レイモンド・ウィリアムズのいう「感情の構造」は、変わりやすい部分と変わりにくい部分の葛藤から成り立っている。その相互関係をこれからも見ていかなくてはならない。 軍楽隊も音楽よりも制服や異様な音に人々は驚愕したのだし、歌も教訓的な唱歌よりも、国民的な気分を高揚させる軍歌、これらを崩して(在来の唄に引き寄せて)歌った街頭の壮士演歌のほうが早く普及した。寮歌は明治末、唱歌の感受性を身につけた高校生が、流行歌を作り得ることを証明した。明治の学校唱歌で唯一、流行歌と呼べるのは1900年の「鉄道唱歌」で、この曲のリズムは前後して生まれた口語体唱歌の試みとともに、大正時代の童謡にまで影を落としている。 秋に研究出張先で鑑賞した大阪音楽大学主催の「洋楽の大衆化」(道頓堀松竹座)は、明治末から昭和初期にいたる簡易楽器や歌劇や活動写真館やはやり唄を再現演奏し、筆者にとって大きな刺激になった。
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Research Products
(1 results)