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2000 Fiscal Year Annual Research Report

近代日本における西洋音楽文化の衝撃と大衆音楽の形成-黒船から終戦まで

Research Project

Project/Area Number 11610047
Research InstitutionTokyo Institute of Technology

Principal Investigator

細川 周平  東京工業大学, 大学院・社会理工学研究科, 助教授 (70183936)

Keywords近代化 / 音楽 / 文化変容
Research Abstract

今年度は昭和のジャズを中心に研究した。ジャズは震災後の急速なアメリカ文化の輸入と呼応して日本に入り、騒音や頽廃という負のイメージ、快活や陽気という正のイメージの両面を持っていた。ジャズの輸入はラジオ、電気録音、海外資本の大レコード会社、トーキー映画などと同じ時期のできごとで、これらが融合して「モダン」が形成された。モダンは大衆文化の新たな段階を示す。大資本が人々の生活様式や娯楽のすみずみに浸透し、都市に集中した新中間層を拡げ、彼らの志向やエートスが国民的なエートスとして喧伝されるようになった。
ジャズにはいくつかの入口があった。一つはダンスホールで、大正に始まるエリート層の娯楽が震災後は都市の中間層に広がった。フォックストロット、ワンステップ、タンゴなど欧米でもよく踊られていた新しいステップが洋行帰りや独習本を通して輸入された。ダンス文化のグローバル化がこのときに始まった。しかし権力側はダンスを淫蕩と見なし、厳しく取り締まった。それに対抗してダンス教師協会やダンスホール協会が結成され、健全娯楽であることを主張した。海外では独身者向けの制度である雇いダンサーが、日本ではホールの必須条件となったのは、ホールの内と外の社交を分断するためだった。ジャズはレビューという形で舞台や映画館にも入った。宝塚の『モン・パリ』(昭和二年)はそのきっかけとして重要で、それまでにない大がかりな舞台装置と奇抜なダンスで舞台芸術の新たな時代の到来を告げた。同じころから松竹の『春のおどり』もジャズを使ってショーアップした。
昭和初期の娯楽産業の改編は、当然、日本人作曲家や歌手をも巻き込んだ。これが来年度の課題である。

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Published: 2002-04-03   Modified: 2016-04-21  

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