2000 Fiscal Year Annual Research Report
全羅南道地域産土器の搬入状況から見た日本列島と朝鮮半島の交流関係
Project/Area Number |
11710221
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Research Institution | Kashihara Archaeological Institute , Nara prefecture |
Principal Investigator |
小栗 明彦 奈良県立橿原考古学研究所, 調査第二課, 主任研究員 (30250385)
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Keywords | 全羅南道地域産土器 / 両耳付壺 / 鋸歯文土器 / 鳥足文土器 / 搬入 / 北部九州 / 畿内 / 継体 |
Research Abstract |
3〜6世紀の全羅南道地域産土器の日本列島での出土例を集成した。その結果、土器搬入状況の様相は、3〜4世紀代には、塔ノ首2号石棺墓例、西新町遺跡例など、対馬、北部九州のみに集中的に両耳付壺、鋸歯文土器が搬入されている。5世紀前葉〜中葉になると、北部九州の集落遺跡を中心に、夜臼・三代遺跡群例、井原上学遺跡例、吉武遺跡群例、在自小田遺跡例、冨地原川原田遺跡例など、鳥足文土器が出土し、継続して搬入が続けられている様相が見られる。それに加え、畿内においても、大庭寺遺跡例、伏尾遺跡例、小坂遺跡例など、土器生産関連遺跡から両耳付壺が、城山遺跡例、メノコ遺跡例、八尾南遺跡例、布留遺跡例など、集落遺跡から鳥足文土器が出土し、新たに搬入が始まったことが分かる。6世紀前半に入ると、北部九州では、在自下ノ原遺跡例、冨地原川原田遺跡例など、集落遺跡に鳥足文土器が搬入し続けられる他に、番塚古墳例、ハサコの宮2号墳例、梅林古墳例、相賀古墳例などのように、新たに古墳副葬品として鳥足文土器が搬入されるようになる。同時に、畿内においても、杣ノ内古墳群赤坂支群14号墳例、星塚1号墳例のように、鳥足文土器が古墳から出土するようになるが、集落遺跡には搬入されない。 本研究の目的である、6世紀前半の継体朝の様相としては、北部九州と畿内中心部の古墳に、全羅南道地域産土器が搬入されている。それ以前には、古墳からの出土がほとんどないだけに注目できるが、継体擁立勢力の地域と重なるものではなかった。この様相は、上部支配層間の交流を示すものでない可能性が高いため、今後、全羅南道地域勢力、継体擁立勢力の上部支配層間の関係究明には、古墳墳形、埴輪、副葬品中の威信財など、政治性の高い属性の総合的な検討を進める必要がある。
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