2011 Fiscal Year Annual Research Report
七世紀の東アジアにおける塑像について(当麻寺の仏像をとおして)
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11J05895
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Research Institution | Waseda University |
Principal Investigator |
金 志虎 早稲田大学, 文学研究科, 特別研究員(DC2)
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Keywords | 当麻寺 / 塑像 / 川原寺 / 伽藍配置 / 藤原京 / 二上山 / 藤原京条坊 / 寺院占地 |
Research Abstract |
七世紀後半創建の当麻寺に関する従来の研究は、当麻寺金堂本尊の丈六塑造弥勒仏坐像(以下、当麻寺本尊)研究と本堂に安置されている綴織当麻曼茶羅研究とに分かれて行なわれてきた。そのため、創建期から浄土信仰の寺院へと発展する当麻寺史の全貌は未だ解明されたとは言い難い。こうした研究状況を打開するために今年度は、七世紀後半創建の当麻寺において同時期に制作された当麻寺本尊と当麻寺創建期における伽藍配置と占地問題に注目し、当麻寺創建の背景について検討することにした。 まず当麻寺本尊は、日本に類例の仏像が現存しないことから、中国や韓国の石仏とのかかわりによってその造形表現や造立背景が検討されてきた。ところが、天皇発願の勅願寺第二号である川原寺にも丈六塑像が制作安置されていたことが、発掘調査によって明らかとなった。また近年、発掘による塑像の発見例が大和地域(二光寺廃寺など)のみならず地方の寺院(夏見廃寺、上淀廃寺など)においても報告されており、塑像制作が当麻寺だけに限定されたとはいえなくなった。特に川原寺からは時代を先駆する仏像や建築、瓦が確認された。七世紀半ばの天皇発願の川原寺は当麻寺よりも2、30年早く創建されていることから、当麻寺本尊は川原寺様式の塑像のひとつとして制作されたという見解を提示した。 つぎに当麻寺創建期の伽藍配置や占地背景については、漠然と薬師寺式ないし大安寺式伽藍配置を前提に検討されてきた。しかし、当麻寺堂宇の解体修理報告や発掘報告、現地調査などの検討から創建当初は両塔は計画されておらず、金堂と講堂だけを主要堂宇とする小規模の寺院であったことを指摘した。また占地背景として、当麻氏と二上山との関係と、当麻寺仁王門の真東から藤原京の条坊(二条大路)に通ずることを検証し、金堂と講堂だけが南北に並ぶ伽藍配置が創建期に計画されたことを明らかにした。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.
Reason
当麻寺創建期の研究において未解決であった当麻寺本尊の制作背景や創建期の伽藍配置、占地背景について、客観性ある研究報告ができた。今年度の研究成果によって、来年度の研究計画も予定通りに実行できる。
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Strategy for Future Research Activity |
当麻寺本尊は、『建久御巡礼記』などの鎌倉時代以降の史料に弥勒仏と記されていることから、従来の研究においても弥勒仏とみるのが大勢である。仏像の制作から500余年も経て成立した史料に基づく、当麻寺本尊の尊格比定には疑問を抱かざるを得ない。当麻寺は、観無量寿経変相図の当麻曼茶羅が本堂に安置されたことや、古代人の浄土信仰と深く関連する二上山の麓に創建されていることを考慮すると、弥勒信仰よりも阿弥陀信仰が根付きやすかったと考えられる。当麻寺創建期の信仰が弥勒信仰と関連しているかという問題は再検討の余地があると考えられるため、縁起史料は副次的資料として扱い、当麻曼薬羅安置背景や二上山に対する古代人の信仰(二上山の西側(河内)=西方浄土)がいかなるものであったかという素材を用いて、当麻寺周辺の現地調査や当麻曼茶羅をはじめとする浄土信仰関連の遺物を手がかりに当麻寺創建期における信仰問題について研究していきたい。
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Research Products
(2 results)