2001 Fiscal Year Annual Research Report
Project/Area Number |
12610325
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Research Institution | Yamagata University |
Principal Investigator |
松尾 剛次 山形大学, 人文学部, 教授 (30143077)
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Keywords | 安国寺 / 利生塔 / 豊後安国寺 / 田原氏能 / 絶海中津 / 釈迦堂 |
Research Abstract |
本研究の狙いは、室町幕府の重要な宗教政策の一つである安国寺・利生塔政策の具体相について実証的に明らかにすることである。本年は第2年度にあたり、関連文献・資料の収集と現地調査を行った。そのため、東京方面に2度(7/4-9、1/27-29)、奈良方面に1度(6/8-10)、大分方面に2度(8/28-9/3,11/22-25)の調査旅行を行った。その結果、多くの安国寺・利生塔関係の関連文献・資料の収集と現地調査を行えた。とくに、2度の大分方面への調査にさいして行った豊後安国寺・利生塔の調査は、興味ぶかいものであった。豊後安国寺は、現在の大分県東国東郡国東町にある。その成立については、国東地方の豪族田原氏能が、応永年中(一三九四-一四二八)に、足利義満の命を受けて絶海中津(一三三六-一四〇五)を迎えて開山としたと伝える。しかし、他の国のほとんどの安国寺は、通常、暦応から康永年間(一三三八-一三四五)に設定されており、応永年間というのは、約五十年ほども遅れている。そこで、諸国安国寺の設立時期に絞って分析し、安国寺は、建武五(一三三八)年から康永四(一三四五)年二月以前に設定され、とくに暦応二(一三三九)年が画期であったことを明らかにした。それを踏まえて、享保六(一七二一)年に記された豊後安国寺釈迦堂の棟札銘には、暦応二年に設定されたと記されていることから、豊後安国寺も暦応二年に設定されたと推測した。そして、寺伝の応永年間というのは、中興の時期だと考えている。
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