2000 Fiscal Year Annual Research Report
Project/Area Number |
12610365
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Research Institution | Tohoku University |
Principal Investigator |
安田 二郎 東北大学, 大学院・文学研究科, 教授 (90036666)
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Keywords | 中国 / 唐 / 史学史 / 許嵩 / 建康実録 / 王気 / 帝都 |
Research Abstract |
研究課題の追究には、唐代における歴史叙述の特徴、また唐代知識人の歴史認識と歴史意識の一般的傾向性についての理解が不可欠であることから、迂遠ながら本年度は、至徳元年(756)に許嵩が著わした『建康実録』に考察を試み、以下の新知見を獲た。 1.撰者許嵩は、建康を都とした呉・東晋・南朝凡そ400年間が、まとまった一個の時代と捉え、その歴史の筋道を簡潔に提示することを当面の目的とした。 2.しかし許嵩は中途で擱筆を余儀なくされることとなり、かかる未完の稿本であることが、夙に王鳴盛が酷評する如く、【〇!イ】叙述形式上の不統一、【〇!ロ】叙述密度の甚しい偏り、【〇!ハ】同じ記述の反覆と【〇!ニ】誤った記事が数多い等々の欠陥を伝える理由とされる。 3.「簡潔」を本旨としたにも拘らず、【〇!イ】宮殿等旧跡に関わる地理、及び【〇!ロ】瑞祥と災異とには周到の詳述を重ね、【〇!ハ】とりわけ、遥か西方に遠隔する襄陽・江陵に拠った北朝の傀儡政権・後梁を付載する事実に注目される。 4.このような特徴から見て、根底の著述意図は、「王気」なるものが厳存し、それは時間とともに場所を移すとの認識を証明することにあった。すなわち、前漢の長安から後漢の洛陽を経て、更らに南下した「王気」を400年間にわたって宿した建康であったが、長安再帰の蠢動を介して(後梁)、ついには抗し切れず最終的な帰着を見る(陳の滅亡)。しかしその長安も永遠の帝都ではあり得ない、との主張である。 5.至徳元年は、安禄山の大乱に玄宗は帝都を脱出・退位、代って肅宗が北遠の霊武で即位した激動の一年にほかならず、王気を宿すこととなった新帝都霊武における大唐王朝のいやさかの存続を、祈念しつつ確認することが、許嵩が心に期した現代的な関心であったと、理解できる。
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Research Products
(1 results)