2001 Fiscal Year Annual Research Report
中国古代・中世の皇帝位継承と国家儀礼-儀礼システムと「王朝国家」-
Project/Area Number |
12710195
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Research Institution | Ichinoseki National College of Technology |
Principal Investigator |
松浦 千春 一関工業高等専門学校, 一般教科, 助教授 (50219383)
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Keywords | 王朝国家 / 儀礼 / 皇太子 / 釈奠 / 帝位継承 |
Research Abstract |
古代中国国家は、皇帝制度を核とする「王朝国家」として具現する。儀礼システムによって表象される国家の正当性は、帝位継承の論理構造の内に集約的に示される。その意味で、<国=「家」>継承の有資格である「皇太子」は帝位継承の構造のみならず、「国家」の意味構造を解読する上でも重要な鍵である。本研究はかかる視点から中国古代国家の儀礼システムの歴史的特質の解明を試みるものだが、字数の制約から、ここでは当該時代の立太子及び帝位継承に密着した儀礼である釈奠儀礼についての考察について報告して研究実績に代える。 曹魏の斉王芳を濫觴とし、晋の恵帝の事例を故事として、東晋・南朝において帝位継承資格の完了もしくは親政の人格的資格の完成を意味する儀礼として釈奠儀礼が即位過程に構造的に組み込まれていたことは既に報告した。釈奠は既に経書に記載がある一方で、国家儀礼としては「漢世雖立学、斯礼無聞」との理解がされてきた。先ず注意しなければならないのは、経書に記述する「釈奠」は後世のような独立した儀礼としてではなく、先聖・先師その他に対する祭祀の方式(尸による降神を行わない)を意味するに止まることである。また一方、『後漢書』明帝紀には「幸孔子宅、祠仲尼及七十二弟子。親御講堂、命皇太子諸王説経。」とあり、「祠」の内容は定かではないが、釈奠儀礼に相当するものであることは疑いなく、同時に「講経」が行われていることも興味深い。つまり、『後漢書』時点においても「釈奠」は様式化されておらず、それでいながら後漢の皇帝が孔子を「祠る」事実は存在したのであった。固有の儀礼の名称として釈奠の語が用いられるのは『宋書』の晋代の例についての記述であり、即位過程に導入された皇帝・皇太子の釈奠によって始めて「孔子の祭祠」は独立した釈奠儀礼として定立されたのである。
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Research Products
(1 results)