2000 Fiscal Year Annual Research Report
Project/Area Number |
12750577
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Research Institution | Nara National Research Institute for Cultural Properties |
Principal Investigator |
箱崎 和久 奈良国立文化財研究所, 飛島藤原宮跡発掘調査部, 研究員 (10280611)
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Keywords | 室生寺 / 鎌倉時代 / 灌頂堂 / 忍空 / 北京律 / 律宗 |
Research Abstract |
空智房忍空の事績 空智房忍空(1232〜1318)は、北京律の中心寺院である泉涌寺に学び、また「泉涌戒光教律之窟」とよばれた戒光寺の長老になっていることから、北京律僧と考えてよい。忍空は律のほか真言密教に秀で、伝法灌頂の授受や聖教書写の事績が散見するものの、室生寺における事績はそれほど明確ではない。忍空が長老として活動していた延慶元年(1308)には、灌頂堂(現本堂)が建立されている。灌頂堂の建立年代は、『建内記』に載せる「後伏見天皇諷誦文」によってあきらかだが、「後宇多法皇御遺告」には、後宇多法皇が一律僧に帰依して室生寺灌頂堂を建立した記事がみえる。したがって、『建内記』の諷誦文は、後伏見天皇によるものでなく後宇多法皇の可能性が大きい。後宇多法皇が帰依した律僧とは、忍空とみて間違いないから、室生寺灌頂堂は忍空が天皇家の帰依を受けて建立したものといえる。これらによって、忍空の事績に新たな事実を加えることができたとともに、灌頂堂の造形を理解するうえで重要な視点が生まれた。 鎌倉時代後期の室生寺 舎利信仰が高揚するさなか、忍空らによる舎利発掘(文永9年=1272)以後に再興された室生寺は、正安元年(1299)に関東祈祷寺に任じられた。これは鎌倉における北京律の中心寺院である覚園寺の開山・智海心慧による推挙であり、ここで推挙された13ヵ寺は北京律に近い立場の寺院とみられる。先述したように忍空も北京律僧であり、関東を含めた北京律僧のネットワークのなかに、室生寺も含まれていたと考えられる。このころ室生寺に建てられた堂塔には、現存する灌頂堂(現本堂)や弥勒堂、御影堂のほか、寂静庵、東庵が文献から確認でき、長禄3年(1459)に焼失した、僧堂、庫裡、愛染堂、不動堂、護摩堂などのうち、いくつかも忍空長老時代に建てられていた可能性がある。
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