2012 Fiscal Year Annual Research Report
Project/Area Number |
12J05771
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Research Field |
Asian history
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Research Institution | Kobe University |
Principal Investigator |
朝魯孟格日勒 神戸大学, 国際文化学研究科, 特別研究員(DC1)
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Keywords | 清朝 / 外モンゴル / 牧地紛争 / 盟旗制度 / 境界画定 / モンゴル遊牧民 |
Research Abstract |
本研究は清代(1636-1911年)モンゴルにおける牧地紛争および牧地利用を対象とする。本年度は、主に6月と940月に、モンゴル国の国立中央文書館と国立中央図書館で史料調査を行い、収集した歴史史料を利用し、清代乾隆41(1776)年から道光27(1847)年にかけて外モンゴルのトシェート・ハン部左翼前旗とサイン・ノヤン部ウールド前旗との間で実際に起こっていた牧地紛争の事例を、紛争の処理に注目しつつ詳細に考察することで、清朝の対モンゴル統治策の一環となる盟や旗の境界画定の経緯を検討した。その成果は以下の三点からなる。 一、本牧地紛争は、乾隆41年に始まり、71年後の道光27年の牧地境界画定によって解決されるまで、計8回の処理を経た。当時画定された盟・旗の境界は、清末やボグド・ハーン政権期(1911-1921年)まで維持されていたことが確認できる。このように、先行研究では見られなかったケーススタディーとしての牧地紛争の実証研究を行い、清代外モンゴルにおける牧地紛争の実態の一部分を明かした。また、清代外モンゴルで発生していた牧地紛争の事例に関する歴史公文書が日本語に転写・公開されたことは、日本とモンゴルの文化・学術交流の促進に貢献できる重要な意味を有している。 二、終始一貫して、両盟の盟長自らが牧地紛争の処理に携わっていた。さらに、両盟長が、協理台吉、管旗章京、副章京ら、または旗長、副将軍、参賛、副盟長らの役人を牧地紛争の処理に派遣していたことも理解できた。よって、外モンゴル中部二盟の牧地紛争の処理過程において、清朝の盟旗制度は行政面ある程度有効に機能し、その役割を果たしていたことがわかった。 三、清朝の盟や旗の境界画定政策は牧地紛争の終息に伴い、徐々に外モンゴルへ浸透、定着していったと考えられる。清朝の統治策、特に盟と旗の境界画定政策によって、モンゴル遊牧民は盟や旗の範囲内で遊牧することを余儀なくされ、季節ごとに移動する伝統的な遊牧スタイルにも影響を与えた可能性が高い。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.
Reason
本年度は、予定通りに6月と9-10月にモンゴル国の国立中央文書館と国立中央図書館で、8月に中国領内の内モンゴル自治区にある内モンゴル文書館などで史料調査を実施し、研究課題に関連する歴史史料を数多く収集できた。 そして、入手した歴史史料を基にし、国際シンポジウムにおける研究発表を一件行った。本学会発表の内容は、学会論文集に掲載されることが決定している。また、学会発表とは異なる内容で論文を一報執筆し、学術雑誌に投稿している。
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Strategy for Future Research Activity |
今後は、2012年と2013年3月下旬頃にモンゴル国立中央文書館(当文書館に所蔵されている清朝時代の史料の閲覧は、施設移転のため2013年3月30日より一時閉鎖され、2016年に再開される予定)で行った史料調査によって得た歴史史料を用いて、清代外モンゴルにおけるトシェート・ハン部(盟)内の二つの旗間で発生した牧地紛争の事例および旗内の平民とイフシャビ(外モンゴル最高の活仏であるジェブツンダムバ・ホトクトの隷属民)との間で起こった牧地紛争等を考察する。また、内モンゴル自治区の内モンゴル文書館とオルドス市文書館でも史料調査を実施し、清朝支配下の内モンゴルにおける牧地紛争についても研究する。最終的に、清朝統治下の外モンゴルと内モンゴルで発生していた牧地紛争の実態等を比較検討することで、清朝対モンゴル統治策たる盟旗制度の運用状況、またその一環として実施されていた盟や旗の境界画定政策の定着状況等を解明する。
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Research Products
(3 results)