2012 Fiscal Year Annual Research Report
Project/Area Number |
12J10067
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Research Institution | Komazawa University |
Principal Investigator |
角道 亮介 駒澤大学, 文学部, 特別研究員(PD)
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Keywords | 国際情報交換 / 中国 / 殷周青銅器 / 南陽盆地 / 礼制 / 随棗走廊 / 青銅器銘文 |
Research Abstract |
殷周史復元のための一環として、当時の政治的・思想的共通性の及ぶ範囲を明らかにするために、祖先祭祀の場で利用される器でありながら同時に政治的目的を付与された青銅舞器に注目し、王朝系青銅舞器自体が器物として受容された範囲と、王朝系青銅舞器を利用した祭祀が受容された範囲を読み解くことが本研究の目的である。上記の研究目標のもと、上海博物館(上海市)、南陽市文物考古研究所(河南省南陽市)、随州市博物館(湖北省随州市)、湖北省博物館・武漢市博物館(湖北省武漢市)、河南省文物考古研究所・河南省博物院(河南省鄭州市)で青銅器の資料調査を行った。 河南省南陽市から湖北省武漢市にかけての一帯は、殷周期の王朝系青銅器の分布の南限として注目すべき地域である。南陽盆地から長江流域に至る経路は二つあり、一つは漢水に沿って嚢陽から南下し荊門・荊州へと至る路、もう一つは大洪山と大別山の間を走る丘陵地帯を経て武漢へと至る路である。後者は「随棗走廊」と呼ばれ、現在の棗陽市や随州市がこの経路上に位置している。 南陽盆地周辺で新石器時代の遺跡は広く確認されており、長江・漢水と「随棗走廊」に沿って多くの遺跡が分布する。二里頭期・殷代の遺跡分布は新石器時代と大きく異なり、二里頭文化遺跡は南陽に例外的に見られるのを除いて、南への広がりは限定的である。一方で、段遺跡は盤龍城遺跡を中心に武漢市で複数確認されているが、南陽盆地では確認されない。鄭州から南下し、信陽・泌陽を経て大別山を越え、武漢に至る経路を想定するべきなのかもしれない。西周期の遺跡分布は股代と異なり、「随棗走廊」が中心となる。武漢市でも西周の遺跡が複数地点で確認されており、中原から長江流域の武漢に至る経路として「随棗走廊」が機能していたことを物語る。 以上の検討より、二里頭期~西周期の遺跡の分布は時期ごとに大きく異なっており、中原の王朝がそれぞれ異なる経路を通って長江流域との交流を図っていたことが明らかとなった。
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Current Status of Research Progress |
Current Status of Research Progress
2: Research has progressed on the whole more than it was originally planned.
Reason
当初、河南省南陽市での調査は9月を予定していたが日中間の関係が緊張化したため、計画を変更し3月に延期した。しかし、3月の調査では現地の研究者と支障なく連絡を取ることができたため、南陽市・随州市・武漢市での調査はほぼ当初の予定通り円滑に進めることができた。
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Strategy for Future Research Activity |
今後、本研究課題は計画通り、中国国内で出土した股周青銅器の資料調査と、国外に流出した股周青銅器のうち銘文を有するものを中心とした資料調査を並行して行う予定である。
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Research Products
(4 results)