2002 Fiscal Year Annual Research Report
Project/Area Number |
13410020
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Research Institution | Okayama University |
Principal Investigator |
鐸木 道剛 岡山大学, 文学部, 助教授 (30135925)
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Co-Investigator(Kenkyū-buntansha) |
田中 智恵子 修復研究所21, 研究員
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Keywords | イコン / 山下りん / ロシア / アラスカ / クリューコフ / シトカ / インノケンティ / ニコライ |
Research Abstract |
明治日本に将来されたロシア・イコンの研究をするに当たって、まずアラスカとの比較研究が実りあるものだろうと考え、2001年秋にシトカとジュノーの教会に残るイコンを調査した。その際、シトカの主教館に、山下りんが1891年に制作した復活のイコンの源泉である版画が掲げられていることを発見した。その版画は1876年の制作であり、1889年に教会によって検閲されてシドルスキーによって出版されている。画家は、おそらくロシア人とアレウト人のあいだのクレオールであるワシリー・クリューコフであろうと推定する。ワシリー・クリューコフと山下りんという互いに歴史的意味を説明しあう画家たちであることに気付いたので、それを受けて、2003年3月にクリューコフについての調査をアンカレッジとコディアクにおいて行った。ところが、リディア・ブラック女史(フェアバンクス大学名誉教授)は、最近の調査によって、クリューコフは1820年代末にペテルブルグの美術アカデミーに入学するが、まもなく病死したという文献を発見され、近々著書のなかで発表されるという。しかしピアス氏は、1990年発行のその著書において、クリューコフは1850年に再婚しており、つまり1850年までは存命と記している。両者の判断の根拠は何であろうか?筆者は、1828年のクリューコフのプリミティヴ様式と、1876年のクリューコフのドレやシュノルの聖書挿絵と並ぶ、ロシアで著名な聖書挿絵のアカデミックな様式の分裂は、その間にペテルブルグの美術アカデミーでの学習体験を通過していることで説明可能であると考える。日本のイコン画家である山下りんがプリミティヴ様式から逃れていることは、イコンを描く前にイタリアのフォンタネージに学んでいることから説明できる。研究分担者の田中智恵子は、さらに気仙沼、十文字の教会にあるロシア・イコンについてさらに調査を進めた。ジヴァン・ラゾヴィチ氏とオレグ・タラソフ氏を招聘し、「もの」の意識を否定するイコン論とロシア・アヴァンギャルドとの共通点について、日本の物質観と比較し、共同研究を行った。
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Research Products
(1 results)